クレイジー・ラブ2
「今日は本当に用事があるからこれ以上付き合えないんだってば。」
「用事って?」
振り返ってみるとロクな出会い方じゃなかったと頭の中の記憶に何度だって苦笑しつつ。
けれどあの後から奏鳴くんに付きまとわれるようになって、あたしの身体からは包帯が消えたのは事実だ。
強引に連れ出された街中で、本当にコンタクトを買いに行こうとする彼を引き止め。
早々にファミレスに入り、早めの夕食を取りながらあたしはそう言っていた。
当然のように人の部屋へ来る気満々だったから。
流石に今日はやめてほしいと頼んでいたのだ。
「私用だよ。」
「具体的に言ってくれないとわかんない。」
「ねえ、あれだけ互いに詮索してなかったのに急になんなの?本当に意味わかんないんだけど?」
「好きな人のこと知りたいと思うのって普通じゃない?」
サラッと言ってくるこいつはまるで恥ずかしげもなく。
当然のような顔でメロンソーダを飲んでいる。
ブラックのコーヒーとか飲んでるイメージが強い分、案外炭酸飲料が好きで、けれど甘いものは食べないっていうのがチグハグな彼の好みだ。
そんな姿から出てくるサラッとした告白に、あたしは頭を抱えながら髪をかきあげていた。
「だから、それが意味わかんないんだって。」
「どこが?」
「何もかもがだよ。そもそもどこに惚れられたのかも疑問だし。」
あたしの人生最大のドン底を見ておきながら、しかもそのドン底で表情ひとつ変えず。
一応はあたしの彼氏だった男を目の前で虫の息にした奏鳴くんだ。
そこまでの流れの中に惚れられる要素はどこにもなかったと思う。
むしろこれは彼の悪趣味な遊びのひとつとして口説かれてんじゃなかろうかと。
そう思わざる終えないのだ。
だって今でこそあの麻雀の店にもほとんど行かなくなったけど、彼は未だちょくちょく行ってるようだし。
そうとなれば、当たり前に他の女に手も出してるだろうし。
自分が特別な女になれる瞬間を、誰だって歳なんか関係なく望むだろうけれど…。
実際はそんなに簡単じゃないことは、あたしが一番よく知ってる。
お世辞にも美味しいとは言えないファミレスのパスタをつつきながら、今日も味が濃いなあと食べていれば…
「俺なんかに惚れられて可愛そうなところ?」
「………クソかよ。いや、クソだったわ。」
小首を傾げ、後ろ髪だけ伸びたクセの強い黒髪がふんわりと揺れる様を見つつ。
ピアスやら刺青なんかも着こなしたチャラチャラの見た目で。
けれど甘く仄暗い微笑みを浮かべる奏鳴くんは、あたしが言うのもなんだけどクズだと思う。
しかも単なるクズじゃない。
クズでクソでチャラい。
はい、三拍子揃いましたね。
まあそういうのは初めから知ってたことだし、特別ドン引きする要素でもないんですけど。
惚れられたことが可哀想だから好きなんて意味のわからない理屈だよね。
「ていうか可哀想だって思えるんだ?」
あの時は一度たりとも同情の目は向けてくれなかったし、慰める気もさらさらない態度で隣にいたくせに。
そう思って口直しにと烏龍茶をストローで喉に流し込んでいると、
「みたいだね。」
なんて他人事のように言うから、この人の感性はさっぱりわからない。
ただ出会った当初からこうやって付き合いが続くくらいには彼の側は相変わらず居心地がいいのも確かだ。
「それより用事って何?」
そうして話しをそらせたと思った矢先、また引き戻される問いかけにはうんざりする。
「君はあたしの彼氏かね?あたしが何しようが勝手でしょう?」
「じゃあ僕も勝手に棗の彼氏になっていいの?」
なんでそうなるかな…。
言葉遊びもかなりタチが悪いよ君は…。
ため息をついて立ち上がり、もう話す事はないと思ってお金だけ机におけば。
「寧ろ知られたくないことなわけ?」
そんな言葉で冷たいヴァイオレットの瞳を向けられ、左手の義手に腕を掴まれることには眉根を寄せてしまう。
別にそういうことではない。
普通に教えてもいいことだし、隠してるわけじゃない。
ただ言いたくないだけ。
「そうやってしつこく聞かれたら絶対言わないでやろうって思うでしょ。」
「…………クソかよ。ああ、クソだったわ。」
そうだったそうだった、と。
棒読みであたしの手を離す奏鳴きゅんよ。
君は自分のことを棚に上げすぎだ。
そうは思うものの、ふて腐れたような顔はどこかいい気分でフンとその場を立ち去っていた。
クソだと罵り、面倒でわがままだと知っていながら。
よくもまあ毎日毎日あたしの研究室に来るもんだ。
その理由が惚れた腫れたなんてピンク色はどうしたって信じられるものではない。
彼の女癖の悪さは聞かなくたって知ってるし、そもそもあの人が何してる人なのかもあたしは未だ知らない。
いや、聞いてないだけなんだけど…。
二十歳を過ぎて、すでに就職しててもいい年頃の女だっていうのに。
思考回路は呆れるくらい高校生から変わってない気がする。
あたしの幼稚な意地に対して、奏鳴くんは悪態の限りを率直にいうくせに。
好きだとも言う。
「あーーっ!ほんっとわかんないわ。」
考えても無駄なんだろうなと、そこで思考を止めて。
あたしは予約していた美容院に入っていた。
用事っていうのはこれだ。
わざわざ隠す必要性が全くないこと。
それでも彼に告げなかったのは、あのしつこい詮索に流されていくことそのものが嫌だったから。
今でこそ真っ当に生きれているし、そのキッカケをくれた奏鳴くんには感謝してるんだけど。
だからってあたしは、自分が男見る目ないのはわかってるし。
それを踏まえた上で奏鳴くんは絶対に好きになってはいけない男だってこともわかってるから。
だってそうでしょう?
あんな女泣かせを形にしたような男に惚れたらあたしの人生はまたズタボロだ。
前もって危険回避出来るようになった自分を褒めたいくらいだし、
あの時、我儘言いたい放題に頼ってたあたしに奏鳴くんはほんとうに男見る目ないねって自分で言ってたんだから。
惚れる前に知れたクズでクソなチャラ男くんにわざわざまた傷つくために惚れようとは思わないよ。
そんなことを考えつつ、伸びきった黒髪を思い切ってショートにしたあたしは気分スッキリで病院から出ていた。
失恋したから、なんてベタな理由ではなく。
単に鬱陶しかったから。
これから夏に入るし、気分転換にはもってこいだった。
前下がりのショートボブヘアーって一度してみたかったし。
後頭部は肩にもつかない短さなのに、前にある髪は胸元より上で揺れている。
オシャレには興味なくても、こうしてガラッと印象を変えるのは結構気持ちいいものだな。
そんな感覚で家路を辿ったのは夜の8時すぎ。
早めの夕飯を食べたものの、小腹が空くだろうと予想して適当に食材を買って帰ったのが9時前。
そして何故かあたしの部屋の明かりがついていることを見てリビングに駆け込んだのがその10秒後。
「あ、おかえり。」
「なん…?!」
「用事って髪切る事だったんだ。」
いや、もうほんと待ってくれよ。
なんで奏鳴くんが当たり前のように人の部屋でくつろいじゃってんの?!
頭の中はちゃんと疑問が浮かぶのに、言葉にしようとすると驚き過ぎて非常識すぎて喉がつっかえてしまった。
そんなあたしの反応に対して、奏鳴くんはゆっくりと立ち上がり、
歩み寄ってきながら今しがたあたしが切ってきた短い髪に触れるのだ。
「案外頭ちっさいんだね、棗。首筋と鎖骨見えるのってこんなに色っぽいものなんだ?」
目を細め、義手ではない右手を滑らせ。
その指先があたしの首筋から鎖骨にかけてを辿って来る様のほうがよっぽど色っぽかった。
いや、そんなことはどうでもいい!!
「…‥っなんであんたがここにっ?!どうやって入ったわけ?!ていうかひとり暮らしの女の部屋に躊躇いなく入るってありえないから?!」
つっかえていた言葉が出たタイミングは遅すぎるほどで、
それでもはっきり怒鳴ってやれば、奏鳴くんは悪気もへったくれもない顔でひと言。
「勝手に彼氏になったから、彼女の部屋に遊びにくんのは当然でしょ。」
もうこの理屈に関してはあんぐりしたよね。
あたしがファミレスで何しようが勝手でしょって言ったことの当てつけとしか思えない。
「そんな理屈がまかり通るわけないでしょ?!」
「通すためにしてんだよ。」
「ほんっっっとああ言えばこう言うなっ?!それよりどうやって入ったの?!」
「合鍵に決まってんじゃん。」
「あたしあげた覚えないんだけど?!」
「ああ、うん。ここに寄生してた男ぶん殴った時にくすねておいたやつだから。」
当然のようにポケットから取り出される鍵に、あたしはもうどこから突っ込めばいいのかわからなかった。
くすねたって、それ…。
普通あたしに返さない?
なんで当たり前にもっておこうと決めたわけ?
いや、それよりなにより何で罪悪感とか微塵も滲まないのこの人?
「常識って言葉知ってる?」
「当たり前じゃん。僕自身だ。」
「……………」
クズでクソでチャラ男な上にクレイジーが追加されました。
まともな会話にならないよこれ。
どうしたらいいわけ?
わけがわからなさ過ぎて、非常識すぎて。
怒っても喚いてもどこ吹く風な奏鳴くんを見ていると身体の力が抜けてしまった。
気がつけばその場にへたり込んでおり、大きなため息をついてしまう。
「あのさあ、これ普通じゃないよ?」
あたしに合わせて目の前にしゃがんできた奏鳴くんに視線を向けて言えば、
「普通の男に引っかかったことあったの?」
なんて不躾で人の見る目のなさに漬け込んだ言葉を落としてくるもんだから睨みつけてしまう。
「こんなことされたら、奏鳴くんのこと嫌いにしかならないからっ!!」
「大丈夫。僕も棗は嫌いだから。」
「はあ?!」
「でも好きになったから、棗もそうなるって。」
「それ根拠にもなってないけど?!」
会話のキャッチボールする気あるのかなこの人?!
嫌いと言われたショックよりも、当然そこから好きになるだろうと言われたことの意味不明さに流されたわ!
だけど、
「僕がこんなに好きなんだから、棗だって僕が好きでしょ。」
それが当然で、それが普通で、それが根拠だと。
真顔で告げるこの男の感性は小学生以下か、それとももっと下らしい。
あたしに好かれてると思ってるらしいよ、この人!
「それより触りたいんだけど?」
「は、い?」
「ブラウスから見える首筋見てたらムラッときた。」
言われていた時にはすでに押し倒されており、こいつの手の早さを知っていながらいつもこうなってしまう自分が恨めしい!!!
「ふざけんな?!あんたのために切ったんじゃないしっ!!」
「じゃあ誰のため?」
「自分のために決まってんでしょ?!」
「じゃあ僕のためにもなるじゃん。」
「はい?!」
「棗は棗のものだけど、棗のものは僕のものだから。」
そんな理屈が通るわけねえだろ?!
ていうかさっきから独自のスタイルぶちかまさないでくれるかな?!
最初こそ無口に寄り添ってくれてる感じしかなかったのに、
こうやって求愛じみたことされるようになってからは開けば開くほど愕然とする新たな一面が見せつけられる!!
普通、ちょっと距離が縮まったら嬉しいって素直に思うもんじゃないの?
なんでゾッとすんの?!
なんでこんなに打ち震えるの?!
おかしいよ!!
何もかもがおかしいよ!!
頭の中はパニックなのに、それを知ってて奏鳴くんはあたしの首筋に甘噛みしてくるのだ。
「ひゃあ…っ?!」
ブラウスのボタンは器用に外されていき、なんとか逃げ出そうと抵抗したところでそんなことはお見通しだとばかりに逃げ道を塞がれていく。
胸板を叩いても、足をバタつかせても。
奏鳴くんは恍惚としていくばかりであたしの身体をゆっくりと蹂躙するのだ。
しかもその愛撫は最近までわからなかったけど、あたしのイイトコロってやつを的確に触れてくる。
最初はあったかけりゃなんでもよかったし、こうやって求められるようになってからは意味がわからなくてされるがままだったから。
余裕が出てきたのはつい最近なのだ。
「……っあ、は……っ」
「嫌がる割には腰揺らしてんじゃん?」
くすっと、あたしの上で嗤う様は大人びた甘さを孕んだ不敵なもの。
こういう時って意地悪って言えるくらい甘ったるくて優しいものなんじゃないの?
それってあたしが夢見がちなだけ?
漫画の読みすぎなの?
そう思っちゃうくらい、奏鳴くんの意地の悪さはマジもんで。
見た目はチャラくても…。
いや、チャラいからこそ軽薄な言葉とノリで女を抱く時はどこまでも甘ったるそうな人だと思ってたのに。
実際は真逆だ。
まるで恐怖を刷り込んでくるかのように人の身体を芯から犯してくる。
こっちの意思なんか御構い無しで。
身体ばっかりが奏鳴くんに作り変えられていく。
「そ、んなの…っ、嘘っ!」
「じゃあ鏡で見てみたら?」
そう言って強制的にあたしの顔をクローゼットの方へと向ける義手の冷たさと強引さに。
そして視界に入る自分の姿には泣きそうになった。
「………っ!」
「僕が欲しいって身体全部って訴えてるでしょ?」
肌は火照り、意思に反して顔は既にもの欲しそうで。
身体は自ら足を絡め、揺れているのだ。
信じたくなくても、百聞は一見にしかずってことわざ通り。
あたしってこんなことしちゃうんだ?と。
まるで他人事のように見つめてしまう鏡の中の自分。
「いいねえ、その絶望と欲情に揺れた目。」
最中、強引に顔を戻され。
奏鳴くんが甘やかに仄暗く、まるで悪魔と見まごう姿で覗き込んでくることには唇を結んでいた。
「な、んで…っ、こんな……っ、」
「本当はね、結構前から目をつけてたんだ。」
「……は?」
「初めて話した時、とぼけたのは嘘だよ。ちゃんと知ってた。」
「なん…っ、」
グッ、とあたしの太ももの間に足を入れてくる圧迫感には身体が跳ねる。
自分からその足に下腹部を押し付けるようにして刺激を求めるあたしの身体はいつの間にこんなにも奏鳴くんの熱を欲するようになっていたの?
まるで自分の身体じゃないみたいでゾッとするのに逆らえない。
ばくばくと、嫌な音を立てる心音と。
熱の上がっていく身体はまるで矛盾していた。
そんな中、奏鳴くんは甘ったるい眼差しであたしの頰を撫でてくるのだ。
人間の骨格を模した義手の手で。
「機は伺ってたんだ。遊び相手にはちょうど良さそうだったから。」
それを言われると、彼があの店で幾人もの女の人とイチャついていた姿を思い出す。
あたしもあんな女たちと同じに思われてたと?
まあだからって腹は立たないんだこれが。
あの時のあたしならそのお誘いに乗ってたと思うから。
だって自分から、奏鳴くんになんで手を出さないのかって聞いたくらいだよ?
優しく甘やかしてくれるならなんでもよかった。
痛くないなら、あったかいなら、なんでもよかったと思う。
今でもたまにそんなことを思ってしまう時がある。
あたしは別に物凄い暗い過去があるわけじゃなく。
両親はいるし仲もいい。
守られて大切に育てられてきたものだから。
こうして都会に出てひとり暮らしなんかしてると、ホームシックには良くなってた。
それが悪化して人肌を求めるようになって、ろくな男に引っかかる繰り返しだ。
勉強は楽しいし、好きなことを好きなだけやらせてくれる環境には感謝してる。
でもだからって、ずーっと勉強してるわけじゃない。
集中力が途切れたら、大学が終わったら、ひとりぼっちの部屋に帰ってきたら…。
たまに泣きたくなるのは日常だった。
「じゃあなんであの時、遊び相手にしてくれなかったわけ?」
あの時のあたしなら喜んで奏鳴くんに甘えたのに。
もどかしく、焦らされすぎている熱に。
それでも我慢して反抗的な視線を向ければ、
「惚れたからじゃない?」
けれど奏鳴くんはサラッと言って、不敵な笑みに深みを帯びて。
あたしの首にそれまで添えていた趣味の悪い義手をかけてきたのだ。
告白の甘さとその行為の恐怖はまるで矛盾した感情をあたしに刻んでくる。
いみがわからなくてゾッとするし、今のこの状態にもゾッとする。
なのに、
「僕を求めてくるくせに、他の男のところに帰って…。僕に我儘言うくせに、本当の意味で我儘は言わない。棗を見てるとイライラして口説くどころじゃなかったよ。」
冷たくも蔑んだようなガラス玉の眼差しは。
言いながら指圧を強めてきて、ひゅっと喉の奥が鳴った。
「そうやって、どうされたいのかわからない態度ばっかりとって僕を振り回してくるんだ。僕に殺されたいのかなって本気で考えてる。今も…。」
笑ってなかった。
真顔だった。
奏鳴くんは静かに寄り添うように、殺意を向けてきたのだ。
まるで音楽を止めるように愛を止めることに躊躇いがなくて、
音を奏でるように愛を語って、
伴奏でもするように寄り添ってくる。
それはなにも甘いだけの代物ではなく、彼独特の感性から放たれるカタチ。
まあひと言で表すならクレイジーとしか言えない。
そんな怖すぎる愛情を前にしてうっとりなんてできる女がいるならこの人を押し付けるわ。
だからこそあたしもこのままではヤバいと思って…。
「………っこん、の!」
幸いにもあたしは義手装具科に所属しており、国家資格も持つその道のプロ。
そしてあたしの首にかけられていた手はまさしく義手。
リハビリテーションや医療に関する知識はもちろん、機械工学に関する専門的な知識と技術だけは持ってるから。
それはすなわち、人のために創造し、生きた手足を与えられると同時に。
それを壊す術だって知ってるってことだ。
義手のどこを狙って、どうしたら壊れるのか。
あたしは知ってる。
命の危険を感じたものだから、本当に無意識だった。
無意識に、彼の片手を壊していたのだ。
なんてことはない。
関節を成形している部分に集まった精密機械の部品をひとつ外してやるだけで義手の機能はなくなる。
幸いなことにここはあたしの部屋で。
専門器具は持ち帰った鞄から溢れており。
手を伸ばして届く位置にあったから躊躇いなく実行していた。
その瞬間、彼の義手が壊れると同時に酸素が吸えて噎せ込んでいて。
けれどそんな事は計算済みだから一気に身体を起こして奏鳴くんを押しのけ、部屋の隅に後退していたのだ。
我ながら、本当に男を見る目がない。
そもそも男運もない。
涙目になって咳き込むあたしに、けれど奏鳴くんは機能しなくなった腕を見てからフッと笑っていた。
「酷いな。僕から腕を奪うなんて。」
「酷いのはどっちよ?!あんたイかれてるっ!!」
肩で息をしながら怒鳴れば、彼は自らの腕を何のためらいもなく。
引きちぎるようにもぎ取って悪趣味な義手を放り投げていた。
「イかれてない人間なんているわけ?人間だって動物だよ?噛みつく時は噛みつくもんだ。」
迫ってくるのかと思えばその場で胡座をかき。
失った左手の袖はだらんと垂れて小さく笑う。
その様がまるで子供のようにも見えたし、まるで…、
「僕は後悔したくないだけさ。」
何かを欲するような大人びた乾きを見せつけてくるのだ。
本当に意味がわからなかった。
わからなかったけど、でも…。
その姿はまるで人間味がないようで人間臭くて。
あたしに恐怖を刷り込んでくるような奴なのに、怖くてたまらないしイかれてるってわかってるのに…。
どうしてか自分から恐る恐る近寄っていたのだ。
気がつけば目の前に座り込み、なにを話せばいいかもわからなくて視線は右往左往。
そんなあたしを前にして、彼は「ほらね?」って嘲笑う。
「逃げたかったんじゃないの?なんで自分から寄ってくるの?僕が嫌いなんじゃないの?それとも結構好きだったりするの?棗は僕に、どうして欲しいの?僕は棗を愛していいの?いけないの?」
淡々と、どこで息をしてるのかと思うくらい言葉を並べ立ててくる奏鳴くんには。
自分でもよくわからなくて言葉が詰まった。
ただ、放って置けなくて。
いや…、そうじゃない。
今のあたしがこうして真っ当に大学に通い、落ちぶれる事なく過ごせているのは彼がそばに居てくれるからだ。
なんだかんだ呼んだら来てくれる。
夜中でも、早朝でも。
ちゃんと来てくれる。
側にいてくれて話しを聞いてくれる。
彼がどんなにイかれていても、あたしは自分の寂しさを埋めてくれる彼をどうしたって心の底から拒絶もできないのだ。
ほんと、今も変わらずどうしようもない自分勝手な我儘に気づくと苦笑していた。
「なんで笑うの?」
「奏鳴くんが必死だからかな。」
「ぶち殺すよ?」
悪態が最早脅しの彼に。
心の底から恐怖で震えることはなかった。
こんなのいつものことだから。
ただそうやってあたしがいつものことだと流していたものは、彼にとって本気だったんだろうと今ならなんとなくわかる。
目の前で眉をしかめ、下着姿でブラウスなんかはだけたままのあたしを蔑むように睨んでくる奏鳴くんは。
あたしの疑いなんて遠く及ばないところでいつも率直に、素直に、己を晒していたのだろうとわかってしまった。
それも今更。
だけど、今からだってまだ間に合うはず。
「ねえ、あのとき言った言葉覚えてる?」
「あのとき?」
「奏鳴くんを好きになればよかったって。」
「ああ…、思わせぶりなこと言って誘惑して来たやつ。」
「してない。断じてしてない。あれはどう考えたって弱った女の助けを求める言葉だったよね?!」
「ていうかまだ僕のこと好きじゃないのかよって驚いた言葉だったかな。」
「君はどんだけ自分に自信があるわけ?!」
あの状況でそんなこと思ってたの?!と、あたしが驚きを隠せないでいると、
奏鳴くんは首を傾げながら気だるげに一言。
「自信なんかないよ。僕はただ、後悔したくないだけだって言ってんじゃん。」
フッと笑ってあたしの下着に手をかけ、首筋に口付けしてくる奏鳴くん。
当たり前にキスマークがついてきて、それまで焦らされた身体はたったそれだけのことで熱を持つ。
人が折角歩み寄ったのに。
話しをするどころか、欲求が先に立ってくる感覚には我慢しろって打ち震えてたのに。
「ていうかさあ、理屈も根拠もどうでもいいよ。愛させろっつってんの。」
「………っ、」
「この身体は僕が一度壊して、僕が作り変えた僕のものだ。」
そう言って辿られる生きた右手の指先の感触は、あたしの理性の人をどんどん薄くする。
「本能に従いなよ、棗。僕から目をそらすな。金輪際、目移りなんかしたら許さないから、」
奏鳴くんは言いながらあたしに甘ったるくしっとりと。
もどかしいだけの口付けをしてきて、そのままスッと身を引くのだ。
なんで?と思わず視線だけ向けると奏鳴くんは小さく笑っており、
「棗が片腕ぶっ壊してくれたからね。欲しいなら自分から乗っかってきてくれる?」
なんて、女のプライドも羞恥も蔑ろにしてくる彼の求愛はとんでもなくクレイジー。
それがわかってて腹立って立つしふざけんなって反抗心もあるのに…。
あたしはもう我慢の限界で、理性を手繰り寄せて話し合うより先に。
自分の持て余した欲求を優先させてしまった。
つまりは、自分から奏鳴くんにまたがって。
彼を受け入れるどころか、自分から食らっていたのだ。
「……っ、……ああっ。」
彼の方に顔を埋め、くぐもった声を出しながら。
それでもわずかな理性が羞恥を運んできて震えていれば、
奏鳴くんは片手をあたしの腰に回し、中途半端だったものを一気に再奥へと押し当ててきた。
思わず声も出ないほどの快楽に身体をのけぞらせてしまい。
しなった身体を奏鳴くんが目を細めて見つめてくる。
「やっぱり棗、僕のこと好きでしょ?」
「………し、らない……っ」
「じゃあ教えてあげるよ。」
「……っす、すき!すきだからあ……っ!」
「もう遅い。てか、そんなのじゃ足りないし。」
「ひあ……っ!」
それからはもうわけわかんなくなるまで貪って、貪られていた。
だってずっと生殺し状態だったから。
女だってそれなりに欲求はあるし、中途半端なことされたら常識なんて捨ててしまう。
彼が言った通り、人間も動物なのだ。
だからこの欲情は、あたしが望んだものじゃない。
好きとか嫌いとかじゃなくて、君に求められると弱い身体にされたんだって。
頭では色々と言い訳を浮かべ、この行為に関して自分の意思は無関係だと言い聞かせていたんだけど……。
「もしもこれが夢でさ、目が覚めたら全部消えてだとしても…。“俺”を後悔させないでよ?棗。」
耳に甘噛みされながら吹き込まれる声音は、朦朧とした頭では理解なんかできなかった。
ただ本能から口を開いたあたしは…、
「ばーか……っ。」
ハッと笑って、彼の熱に身を委ねていたのだ。
これが夢なら、とことん女の醜態を晒してやろうと思うし。
これが夢なら、ほんときもちーなって思ったし。
でもこの夢が覚めた時、ひとりなのは嫌だなって…。
そう思うと奏鳴くんの首に腕を絡めながら抱きすがっていたのだ。
「あたし、も……っ、もう後悔はしたくない……っ。」
「うん?」
「好きな人に、……追い込まれるのは、散々味わったわ……っ」
「……」
だからそれを踏まえて聞くよ、と。
ほとんど無意識に、あたしは快楽にうなされながらぐったりと彼にもたれ込んで口を開いていた。
「君を、好きになって……、後悔するのは嫌。」
「棗…?」
「奏鳴くんを、好きになるのはこわい……っ。」
涙ながらに、もはや自分が何言ってるかもわかってない状態で。
身体に駆け巡る快楽に痙攣しながら、余韻に微睡んで目を閉じていた。
「でも、側には……いて、ほし……っ。」
「側にいて欲しいなら愛させてよ。」
「………う、ん……っ」
「恐怖にすがって、どうしようもなく俺だけになればいいよ。」
「……?」
次回はすでにボヤけていて、何を言われてるのか聞き取れもしなかったあたしがボーッとしたままからを見ていれば…。
「ひとりより、ふたりのほうが寂しくないなら俺だけでいいでしょ?」
甘ったるくも噛みつくような口付けに翻弄されて。
あたしら自分でも気づかないうちに意識を手放していた。
好きとか嫌いとか、そんな感情に振り回されるのはもうごめんだって思うのに…。
「すき、に……、なって……いいの?」
意識を手放した無意識のうわ言のような言葉に、
「ならなきゃいけないの。」
返ってきた言葉も、片腕に抱きしめられる強さも。
仄暗くもクレイジーな愛情の大きさも。
あたしは何もわかってなかったし、記憶に留められるような状況じゃなかった。
それでもわからないまま、気づいてないだけでわかったたことはあった。
恐らく、奏鳴くんと本当に出会ったのはこの瞬間だったんだと思う。
そして夢が覚めた瞬間がこの時だったんだと思う。
それまでが夢で、今この瞬間が現実なんだと…。
あたしの悪夢は終わりを告げた。
そうして、新たな悪夢を運んできたのだ。
甘くも仄暗く、クレイジーな愛を語る奏鳴曲を。
「愛に死ぬか、愛に生きるか…。棗の選択はどっちかしかないよ?」
「…………ばーか。」
壊れた愛が本物なのか、
壊した愛が本物なのか…。
ただ言えることはひとつ。
それはきっと、ここからはじまる。
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