マダム・ロマンス

和風建築の内装は奥ゆかしさがあり、けれど現代的なモダン和風。

まだ建てられて間もないことがわかるくらい綺麗なものだった。

玄関をくぐった左門は黒髪を耳にかけながら、内装を見回して目の前の人を見つめたのである。

ウェーブの強い黒髪は長く落ち、大きな瞳はドールのように綺麗な黒。

日焼け知らずの肌は引きこもりがちな生活をしていることがよくわかる。

いや、それよりも…、

(なんでバスタオル一枚…?)

思わず声に出しそうになるのをぐっとこらえ、目のやり場に困るその立ち姿に軽く顔を引きつらせていた。

(気合い入りすぎだろこのオバさん。)

左門の年齢は20歳だ。
8歳差はまあ、左門にとっては大きな差であるしオバさん呼びも仕方ないのだが、

いかんせん、かのマダムの容姿はハリ艶がよく、そこらの若い女には負けていない。

なんなら煙草を片手に豊満なバストをたゆんと揺らしながら品定めでもするように見られるのだ。

男を買った女とはいえ、常識的な初対面くらいしてほしいものである。

「あんた何歳?」
「20歳っすけど…。」
「ちょうどいいわ。風呂あがりに一杯してたところなの。付き合いなさいな。」

たばこの煙を吐き出しながら、くるっと背を向けてとっとと部屋に入ってしまうマダム。

思っていたよりもなんというか…、

「ビールがいい?それともワイン?日本酒もカクテルもあるけど?」
「じゃあビールで。」
「冷蔵庫にあるから勝手にとって。」

ソファに腰掛け、足を組み、ビール缶片手にぷはあっ!とか言っているのだ。

思っていたよりも下品というか、庶民的?

金を持っていると聞いていたし、こんな家に住んでいるのだ。

もっとおしとやかで雰囲気のある人かと思えば、マダムなんてあだ名に似合わない女であった。

左門は言われた通りに冷蔵庫からビールを取り出し、栓を開けながら営業スマイルで「隣、いいっすか?」と距離を詰めていた。

マダムはどーぞと横を開けてくれ、失礼しますと座るまでは早く、

「なんて呼べばいいっすか?」
「まだ、マダムでいいわよ。そう呼ばれてんでしょう?あたし。」

ニヤリと笑ってまだ湿った髪を耳にかける女。

本名なんて教える気はないらしいが、「まだ、」と言ったのは少々引っかかる。

まあ左門も源氏名であるし、別に名前なんてどっちでもいいのだが…、

「たかが1ヶ月の男だからっすか?」

にこやかに突っ込んで問いかける左門もまた、他のホストと違っていた。

マダムはあら、と言いたげな顔で左門を見つめ、それから小さく笑うのである。

「なあに?あんた。1ヶ月じゃ不満だっていうの?」
「そりゃそうっすよ。飽きること前提のお付き合いなんてごめん被ります。」

なんでも最初が肝心だ。
左門はこの業界で長いものだから、勝手を知っている。

特に女に関しては、年齢なんて関係なく落としたい女は落としてきた。

全ては金のために。

「仕方ないじゃない?新しいもの好きなの。飽きちゃうのよ。それがたまたま大体1ヶ月だっただけ。」

別に期限を決めてるわけじゃないの、とマダムは言いながらビールを煽る。

タオル一枚の姿は危うい艶っぽさがあるものの、左門からしてみればそんなものは誘惑のうちに入らなかった。

どれだけの女を相手にしてきたと思っているのか…。

女体なんてバストの大きさやスタイルが違うだけでみんな同じに見える。

欲情なんて自分からしたことはないし、抱きたくて抱いたことはない。

金をむしり取ってやるために気持ちいいことを与えてやるのだ。

割り切った考えの左門は頭の回転も早く、なるほどと言ってマダムの顔を覗き込むように下から顔を寄せていた。

「じゃあ1ヶ月で俺がお姉さんに飽きられなきゃいいわけだ?」
「できるの?」
「やるんすよ。その代わり、ちゃんと協力してくださいね?」

にこやかな営業スマイルはまだまだ序の口。

このマダムという女がこぼした新しいもの好きだという発言に即座に乗ったに過ぎない。

つまり、他の出張ホストと違ってゲーム感覚を植え付けた上で主導権を握るのだ。

協力してくれと下から頼んだものの、それは左門のいいなりになれという意味である。

そんな貪欲な左門の眼差しにマダムはビール缶を置いて左門の顔を両手でいきなり挟んできた。

「これだ!!!」
「痛…っ!はあ?!」
「これよ!この目だわ!!」

勢い良く叩かれたかと思えばそのまま立ち上がり、一目散に部屋から出て行くバスタオル一枚の女。

意味がわからずポカンとする左門も次の瞬間にはハッとして追いかけていた。

広い屋敷だが、明かりがついていればどこにいるのかはわかりやすい。

縁側に寄り添った廊下を歩いていけば、広々としたモダン和風の空間が広がっており、

資料やら本やらが山積みになった中心のデスクで、タオル一枚の女が真剣な顔で何かを書きなぐっていた。

邪魔をしないように横から覗き込んでみればそれは…、

「漫画…?」

しかも内容は噂に聞いていた通りの18禁。

ええ、それはもう淫らなシーンをノリノリで描いているのだからドン引きもいいところである。

そして相手の男の眼差しを描くとき、マダムは一度左門の瞳をジッと見てから下書きしていた形を描きなおすのである。

そんな作業が一通り終われば、マダムは伸びをして「あんたのおかげではかどったわあ〜っ」と上機嫌。

左門からすれば全くもって意味がわからない。

ただこの女の職業はあまり公言もできないエロ漫画家で、その内容もかなり過激。

なんなら相手の男役はどうやら左門をモデルに書き上げてしまったらしい。

出来上がった原稿を一枚一枚見ながら、左門は顔をひきつらせるしかなかった。

「俺、こんな性欲強くねえんすけど?」
「あんたじゃないわよ。それはサモンくんだもん。」
「しかも同じ名前っすか。」
「たまたまよ、たまたま。新作の名前と同じ名前のホスト見つけたから指名したの。当たりだったわね。」
「なんすか、この臭いセリフ。ていうか俺、こんなに女に飢えてねえし、独占欲向けるより向けられる方なんすけど?」
「二次元に文句言うんじゃないわよ。これからあんたは二次元のサモンくん役してもらうんだから。」
「は…?」

初耳の内容に左門が固まれば、マダムはニヤリと笑って足を組んでいた。

「第1関門突破おめでとうサモンくん。あたしのことはシオリって呼んでいいわよ。」
「シオリって…、」

今しがた左門が手に取っていた原稿の中、二次元のサモンに乱されている女の名前じゃないか…、と。

ここにきてようやく、まだマダムでいいと言った彼女の発言の意図を知ることとなった。

相変わらず本名ではないが、そんなことは関係ない。

なんだかすごく嫌な予感がする。

最中、左門の目の前でマダム…、もといシオリがニヤリと笑って口を開いた。

「あんたに命令をひとつ与えましょう。」
「は…?命令って…、」
「指名が欲しかったら、あたしの仕事に付き合いなさい。それがあたしが男を買う理由よ。」
「それってつまり…、」
「あたしに協力してね。」

先程主導権を握った言葉をそのまま返されてしまい、左門は顔をひきつらせっぱなしだった。

もう隠すこともできぬこの女狐は男を買い漁っているだけあって左門の目的もようくわかっているようだ。

「お金、欲しいんでしょう?」
「……ったく、とんだ脳内エロ一色のババアだな。」
「あら、そっちが本性?いいじゃないいいじゃない。サモンくんは口が悪いケダモノ系だから。」
「ふざけんな。二次元なんかに付き合ってられっかよ。」

原稿を雑に置き、マダムのにこやかな笑顔を今すぐにでも後悔させてやりたくなるが…。

いかんせん経験の差が浮き彫りになっている。

ここで癇癪を起こしたってただのガキ扱いだ。

それはわかるのだが、この女狐。
めちゃくちゃ楽しんでやがる。

それに左門のイラつきやら遣る瀬無さなんて見飽きてると言わんばかりに聞く耳を持つ気はなさそうなのだ。

おそらく、こうして今まで買ってきた男もエロ漫画の協力者にされてはポイ捨てされてきたのだろう。

「あたし、仕事は早く終わらせたい派なのよ。原稿の締め切りギリギリまで根を詰めるなんて嫌なの。だから作品は全部1ヶ月で終わらせる読み切りタイプ。」

だからホストの指名が1ヶ月おきに変わる。

つまりそれは新たなキャラクターでないといけないから。

そうして今現在のキャラクターはサモンだから、左門が呼ばれたに過ぎない。

未亡人で寂しいだとか、人肌恋しいだとか、ありふれた理由ならどれだけ良かったことか…。

こんなにもあっけらかんとして男を仕事の道具にする女は中々いない。

左門も初めて出会ったタイプの女だ。

そんな彼の目の前でマダム、もといシオリは名前に似合わないニヒルな笑みを浮かべて仕事内容を語るのだ。

「毎日だって指名してあげる。その代わり、あたしの命令は絶対よ。」

原稿を仕上げるためのシチュエーションにも付き合ってもらうし、枕営業だってしてもらう。

セリフだって言ってもらうことはあるだろうと彼女は語った。

「それが嫌なら別を探すけど…、どうする?」

1ヶ月の期限付き出張ホストを伊達に買い続けていないということだろう。

形勢逆転とはこのことだ。

しかし、ここで逃げる選択肢なんてあるわけがない。

他の誰もがこれに乗り、1ヶ月で捨てられたのだ。

ならば、挑戦したっていいだろう。

この女の期限を破って、指名をもらい続けられるように。

こんなに金のなる木も早々いないのだから。

そしてまだ、猶予はあるのだから。

「わかりました。じゃあ俺からもひとつ条件を出してもいいっすか?」
「どうぞ。」
「シオリさんの悪趣味に付き合う代わりに、俺とちゃんと付き合ってくれませんかね?」
「それはつまり、サモンくんとシオリちゃんのように恋人になれってことかしら?」
「シオリさんっていちいち二次元挟まないと俺のこと見れねえんすか。」

おい、と左門が口元をひきつらせるのも仕方ない。

どこまでも仕事一筋と言えば聞こえはいいが、内容はエロスを貫き通している。

二次元に付き合うかわりに、現実のお付き合いを本物にして本気になってもらおうと思った次第の安易な考えだったのだが…、

「いいわよ。どうせそれは命令として言おうと思ってたことだし。」
「は?」
「サモンくんは可愛い彼女しか見れないタイプだもの。付き合ってなきゃダメじゃない。」
「あのな…、」

よろしくね〜、とあまりにも軽いノリでオーケーを出されるとこの先不安しかない。

この女はどこまでも左門ではなく、サモンとして見つめてくるのだから。

落とすには二次元を挟んでおかないといけないのはわかったが、ガリガリと精神が削られていく。

そんな左門にシオリはニヒルに笑い、

「じゃあ最初の命令よ、左門くん。」

高らかと追い討ちをかけてきたのである。

「あたしに惚れなさい。」

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