下心だけで勇者になった件について
「あ、れ…?生きてる……?」
鬱蒼とした森の中で起き上がった男は辺りを見回しながら、節々の体の痛みに記憶を蘇らせていた。
(そうだ…。調子に乗って飲みすぎてそれから…。)
男の名は、ノヴァ・メフィスト
しがない冒険者だった。
この国には魔法というものがあり、それぞれ個々に属性を持った魔力の質で様々な役職につける。
手っ取り早いのが冒険者だ。
ギルドで身分証を発行すればどの国にも行けるし、クエストを達成すれば金も稼げる。
ノヴァもその中のひとりである。
稀に見る魔法の素質と身体能力の高さを持っていながら、ノヴァは目立った行動を避けて生活していたのだ。
無欲と言えば聞こえはいいが、ノヴァには不屈の決心があった。
(可愛いお嫁さんと一緒になって平和に穏やかに農民するんだ俺は!!!)
だから冒険者になったのも、数多の国に訪れる事ができる出会いを目論んだため。
冒険者としてのランクは一応、それとなくBランクで留めている。
そりゃあSランクの方が格好いいかもしれないが、そんなことしたら王都に出向くことになったり、目立ってしまえば結婚どころじゃなくなる。
(まあ、花嫁くれるってんならそれもいいんだけど…。)
好みじゃなかったり、はたまた性格が合わない可能性を考えれば地道に恋路を探した方がいいと判断したのである。
「ってて……。取り敢えず水かなんかないのかここは……。」
身体の痛みに慣れてきたところで、まだ日は高いというのに生い茂った森の木が要項を遮る薄暗い中。
ノヴァは多少よろめきながらも木に手をついてゆっくりと歩き出していた。
「くっそ…、何が絶世の美女だ!どこにもいねえじゃねえか!!!」
思わず愚痴をこぼしてしまうノヴァは数時間前のことを思い出して二日酔いの頭を抑えるのである。
酒場で今日も花嫁候補はいなかったなと、稼いだ金で一杯していたいつもの夜。
同じ冒険者たちが1日の疲れを癒すべく訪れる酒場は情報も多く集まる場所だ。
そこでどの国の誰が美人だったとか、あの国のスタイルの良さは格別だとか。
そんな話しを少しでも小耳に挟もうとノヴァも毎晩のように通っていたのだ。
当然、マスターとも顔見知りであるし何人かの冒険者たちとも知り合い程度の付き合いをしている。
そんな中、
「お前はさあ、実力あるんだから。嫁見つけるよりレベル上げた方が絶対いいって。」
客の足が向いてくる時間になれば、今日もまた居るよとノヴァの周りに人は集まってくるのだ。
まあ大抵、ノヴァの中々な実力を知ってるものたちは決まってこう言うのだが。
「それより美人情報を持ってこい。」
ノヴァも決まって同じ返答を返す。
「髪は長い方が好みだ。あと身長は……特に低くても高くても問題ない。顔は可愛くても美人でもクールでもいける口だ。胸はちょっとあった方が嬉しい。」
「妥協に妥協を重ねても注文多いな相変わらず。」
しれっとマスターが突っ込んでくることもいつものことである。
そんな会話で盛り上がればいつも大体、弱いものから酒に潰れていくのだ。
ノヴァはそこまで酒に弱くはないが…
「ていうかおめでとうザン。お前結婚するんだって?」
「なんだと?!」
ザン、と呼ばれた男はこの街でもノヴァと争うほどの実力者である。
いや、性格に言えばノヴァが自らの力をBランク程度にしか出していないだけなのだが、
それを省いたとしても、ザンは中々に素質のある冒険者だ。
ノヴァとも仲が良く、圧倒的にモテるのは気さくで男らしい顔立ちの金髪碧眼という最高のものを持ったザンなのだが。
「待てよ!俺聞いてねえぞ?!誰だ?!抜け駆けしたのかお前!!」
酔いがまあまあ回っていたこともあり、ガシッと掴んだ親友に迫ると、
「いや、ノヴァも知ってるだろう?ずっと付き合ってた彼女だよ。」
「んな…っ!?」
「なあ?かたや親友の結婚に対して祝福するならまだしも、絶望的な顔で見つめるってなんなの?」
はったおすぞ?とにこやかに言われるが、すでにはっ倒されていたノヴァは机に突っ伏すことになった。
「なんでだ…っ。なんでザンが結婚できて俺ができないんだ……っ。」
「お前はがっつきすぎなんだよ。顔は悪くないのに。」
「どこがどうガッツいてるって言うんだよ?!」
あとはほぼヤケ酒のように煽っていたノヴァだが、ザンは隣でマイペースに結婚指輪を光らせるのである。
「ちょっと自分の好みじゃなかったら声かけたところであっさり切るし、」
「そりゃそうだろう。俺の目指してる結婚は相思相愛だぞ。」
「誰でもいいみたいな感じで言うのに、いざ告白されたら全部断るし。」
「どれも違ったんだよ。」
「そんなあからさまに選り好みされちゃ、女だっていい気はしないっての。」
「ううう………っ。」
それを言われると何も言い返せない。
ノヴァはこの街でもプレイボーイとしてはかなり有名だ。
女好きで軽い。
結婚したいと言いながらまるで女との進展を聞かない。
けれどデートやらなんやらと、そういう遊びに長けた噂は多いし。
ノヴァと一夜の関係を持ったものもすこぶる多い。
そしてノヴァは一度寝た女とは二度と寝ない。
「結構いい女いっぱい抱いてるくせに。」
「どこがいい女だ。一夜だけでいいから、諦めるから、うんたらかんたらとしつこい女につきまとわれてるうちにそうなっただけだ。」
「モテる男は辛いねえ〜。」
「嫌味か。くそっ。俺の嫁はどこに居るんだ…!」
貞操観念なんてものはない。
もしも運命の相手であれば抱いたらわかる。
ノヴァは昔からそう言っては女関係にすこぶる幅が広いのだ。
そうしているうちに本気で相手にしてほしいと思う女が近寄ってこなくなり、
結婚以前に、恋愛できる環境ですらなくなっていた。
(そろそろこの国を拠点にすんのも潮時か…。)
なんてことを考えながらべろんべろんに酔っ払っていたノヴァの耳に、
「そういえば北の森…。なんだっけ?あの湿地帯のとこ。」
「ああ、迷宮森林(めいきゅうしんりん)のことかい?」
マスターが酔いつぶれた客を迎えにくるよう、すでに馴染みになっている面々の連れだったり奥さんだったりに電話をかけながら答えていた。
「そうそう。あそこって昔から言い伝えあるじゃん?絶世の美女がいるってさ。」
ノヴァがピクリと反応した。
「ああ、あの伝説か。女神やら天使やらと、文献や噂で広まっちゃあいるが…。実際のところ、確証なんて得られた試しもねえ化物の巣窟だろう?」
「でもさあ〜、よく聞くじゃん?なんでも願い事ひとつ叶えてくれるってさ。」
お前はそこ行って嫁をお願いしてこい、とザンが軽口でケラケラ笑っていた。
…が、
「わかった。ちょっと行ってくる。」
「「…は?!」」
その冗談をノヴァは本気で捉えていた。
ガタッと立ち上がり、情報ありがとうなんて言葉まで残して去っていこうとするフラッフラでべろんべろんの姿には、
流石のザンも慌てて止めに入っていた。
「待て待て待て?!冗談だから?!な?!お前その区別もわかってないくらい飲んでんのか?!」
いつの間にそんなに酔っ払ったんだと、ザンがギャーギャー言うものの…。
「俺は嫁が欲しいんだ!」
ノヴァはすっかり出来上がってしまっており、その一言と共に転移魔法を使って消えたのである。
そうして…
「え?……えええええええええええっっっ?!!!」
転移した先は地面もなんにもない。
空の上だった為に真っ逆さま。
「しいいいいいいいいいぬうううううううっっっっ!!!!!!」
酔ったままの頭でははっきりとしたイメージもできず、とんでもない高さから落下する羽目になったのだ。
そのまま頭の回らぬノヴァは目を回し、森林の中へと木のクッションをガサガサと折って行き落下。
もちろん意識なんてあるわけもなく、ゆっくりと日は昇り。
目を覚ました時には…
「あ、れ…?生きてる……?」
冒頭へと戻るのである。
あまりにも馬鹿なことをしてしまったと記憶を振り返りつつ、飲み過ぎたことで喉はカラカラ。
何時間眠っていたのかと思うくらい日差しは高く昇っているのだが、この森林ではその日差しが一向に降ってこない。
それほどに木が密集しており、湿地ゆえにぬかるんだ地面は体力を奪っていく。
(くそ…、歩きづらい上に魔物しかいねえ…!)
ふらふらと、湖でも川でもないのかと探し回りながら歩いて数分。
出会う生き物なんて弱った人間だと飛びついてくる化物ばかりだ。
ただ日頃から正気を保っていればノヴァのコントロールは素晴らしいものと言えるのだが…、
「またやり過ぎた…。」
今の二日酔い状態では魔力量を調節することができず、弱い魔法を打っても魔物を持って帰れないくらいの状態にしてしまう。
(いい金になる魔物がゴロゴロいるのに…。勿体ねえ……。)
なんて思いながらも兎に角水が飲みたいと歩き続けて約1時間。
ノヴァはようやく拓けた土地にたどり着き、ボーッとした頭と半開きの目で捉えたものは美しく大きな湖のほとりであった。
「助かった…!」
疲れを一気に吹き飛ばしながら駆け寄っていく場所は、日差しが差し込んでおり。
そこだけがまるで幻想的な光の世界を生み出している。
湖面は輝きに満ち、透明度の高い水がどれほど新鮮なことか一目でわかるのだ。
「さすが北の地方だな。水を司った方角なだけある…!」
手を伸ばし、口元へ持って行きながら喉に流す水の味はそこらの都市で買うものとはわけが違う。
魔法というものが定着しているこの国では、皆が皆魔力を有しているが強弱も様々。
なによりも誰もが属性を持っているのが基本的だ。
自然元素に加え、特殊な能力もあるが基本的には土金火木水の四元素で成り立っている。
そうして四元素の司る方角にはそれぞれの都市に、それぞれの四元素の特徴があるのだ。
北は水。
司る色は黒。
故に水の民やら月の民やらと呼ばれる民族がおり、水魔法に長けていることが基本的な知識として皆の頭にあるのが常識だ。
だからこそ、北の方角の天然水は喉を潤すことはもちろんだが、
こだわる料理人の間では北の水を使って食材を調理するだけで味の質が違ってくると言われるほど。
治癒系の能力者ならば、北の都市で使う魔力とそうでない場所とでは明らかにできる魔法のバリエーションが違うとも聞く。
まあそんなことはノヴァにとってはどうでもいいことだ。
胸焼けするような二日酔いがすっと落ち着いていくほどに身体の中に取り入れるだけでも違う水の新鮮さにひと息ついていた。
そんな時だ。
ざぶんと湖面が揺れ、湖の中心部でぶくぶくと泡が立っている。
なにか生き物でもいるのだろう。
ここは魔物の巣窟と名高い迷宮森林だ。
それに北の方角の魔物は水系統が多い。
水の中を住処にし、冒険者が喉を潤す無防備なところを狙ってくる利口で環境に適した魔物はCランク以上にならないとクエストも受けられないのだ。
(取り敢えず、絶世の美女も居ねえしなんかテキトーに強いの狩って酒代にするか…。)
ノヴァはマイペースにそんなことを考えていた。
酔った勢いとはいえ、そう簡単に伝説の美女になんか会えるわけもない。
冷静な頭が働けばわかることだ。
(首絞めてぶん投げてやりたいが…、ザンの結婚祝いくらい素直にしねえとなあ……。)
ああ、俺の嫁はどこにいるんだと…。
遠い目をして浮き上がってくるだろう化物を待ち構えていれば…、
「………っ?!?!?!!!!」
湖面から浮き上がってきたモノは「ぷは…っ」と愛らしい息を吐き、
顔を上にあげてキラキラと輝きに満ちた湖面の真ん中で太陽の日差しを身体いっぱいに浴びる。
ポワポワしているウェーブの強い白髪は日差しに透け、同じくらい白い肌は水に濡れて輝きを放ちながらも透明感がある。
滑らかな女体は乳白色の色味で湖から身を出し、ノヴァの時間がピシッと固まるほどに、
それはそれは美しいものをこれ見よがしに詰め込んでできたような女だった。
大きなドールアイはストロベリークォーツの色味。
この北の都市では宝石は取れないが、西の方角は四元素の金を司る土地だ。
そこでは質のいいパワーストーンや宝石が取れ、その中でも珍しい石の一つにストロベリークォーツというものがある。
クォーツ系の石の中でも珍しく赤に近いピンク色の濃い宝石だ。
愛情の印として結婚指輪にする男も多いほど、けれど値の張るものであるし、発掘したところで同じ石は取れないと言われているほどに…。
綺麗なストロベリークォーツは市場価値でもかなりレアなもの。
その色味と同じ瞳を持つ女は全裸で水浴びをしており、柔らかな陽光の差し込む湖面で長いウェーブの白髪をかきあげていた。
(て、天使……!天使が降臨なされた……!!!)
あまりのことに色んな面で崩壊気味のノヴァのテンションはうなぎのぼりであった。
最中、女は視界の端に映ったのだろう。
ノヴァの姿に気づいて振り返り、きゃあとか変態!とか叫ぶことなく無表情で小首を傾げている。
「誰だ、貴様…。」
しかも声音は愛くるしいことこの上ない響きであるのに能面みたいに顔色も表情も動かないし、なにより口調が男らしい。
いや、それでもその容姿から放たれるものであればギャップ萌えとも思える。
ノヴァは話しかけられたところで放心した精神を強制的に手繰り寄せ、あんぐりと開いていた口を一文字にして立ち上がったのだ。
「…、あんたこそ誰だ。この森がどんなところか知っててそんな格好してんのかい?」
超目の保養なのだが、できるならもうちょっと近寄ってきてほしいとか思ってたりもするのだが、
なんなら抱かせてくれないかなとか思っちゃってるのだが。
(第一印象は大事だぞ俺……!)
これでもノヴァだってモテる部類だ。
そりゃあ結婚願望が強すぎて突っ走りすぎて、ほとんど行けない都市の方が多くなってしまったが…、
それでもザンに負けないくらいは色気も、能力面も、あっちのほうのテクニックも負けない自信はある。
ここはひとまず冷静に。
なにより場所が場所だ。
こんな魔物の巣窟の森の中で美女が水浴びなんて光景に目を奪われてしまったが考えてみるとありえない光景でもある。
そんな無防備な姿を晒していては、殺してくださいと言ってるようなものだ。
そうでなければ人間ですらないのかもしれない。
(美しい種族の中で最有力候補はエルフ族だが、耳がとんがってないし褐色の肌もしてない…。妖精族だとしても人間と同じ等身大になれるなんて聞いたことないし……。)
本当に人間の女だとしたら、冒険者レベルがCランク以上だということになる。
だが冒険者だったらむしろそんな無防備な姿で悠長に水浴びなんてしないはずだ。
どんなに魔力や武力に自信があっても丸腰になるなんてありえない。
そんなことを思いながらもノヴァが静かに見つめる先では、白髪の美しい女が全体的に真っ白な容姿で口を開いたのだ。
「どんな場所?とは、どういう意味だ。」
「…は?」
小首を傾げ、水のベールを手で撫で上げて作りながら…。
女は浮遊してその身に薄いワンピースを纏うのだ。
レースの透け感が美しい湖面よりも濃いロイヤルブルーのシンプルなワンピースを。
その色味は全体的にぼやけそうな彼女の白加減にはっきりと輪郭を映し出し、スーッと湖面の上を浮遊してノヴァの目の前まで近寄ってきた。
(風属性の魔法、か…?いやそれにしてはなんか感覚が違うような…。)
魔力というよりもまるで…、息をするかのごとくその身に馴染んだ力とでもいうのか…。
あまりにも魔力と同化したような彼女の感覚に、ノヴァは違和感を覚えつつも静かに見上げていた。
(いやあ、それにしても…、近くで見るとほんと愛くるしい顔してんなあ…!スタイル抜群だし!高級な人形みたいな容姿も、誰にでも愛想振りまく感じもないツンとした雰囲気も超好み…!!!)
ノヴァは冷静さを失った。
(てかノーブラ?!ノーブラだよな?!だって先端がちょっと浮いてるし…!ってことはノーパン?!)
ノヴァは欲望に取り憑かれた。
(…え?なに?俺って誘われてんの?!まじか?!ここは一発、全宇宙のイケメン力を掻き集めて語彙力高い誘い文句を言わねば…!!!)
ノヴァは正気を失った。
ゲームをしていたらポンポンと画面下に出てきそうなフレーズが並ぶくらい、ノヴァのテンションは上がりまくっていた。
つまり、
(______ドストライク!!!!)
…である。
「ここはわたしのお気に入りの場所だ。貴様、何故入ってこれた。」
そんなノヴァのあらぬ方向へ高まったテンションなど露知らない女は静かに問う。
やたらと上から目線で、しかもこんな魔物の巣窟がお気に入りの場所だなんて訳の分からんことを言っているのに…、
(これは照れ隠しか…?!ツンデレ属性なのかこの天使…!!!)
違います。
ノヴァの暴走は救いようがなかった。
「何故って、それこそどういう意味だよ。」
だがしかし、ここでガッついてはいけない。
至極冷静に、そしてイケメン力をかき集めるのだ。
ノヴァは気取りながらも無表情を務めて目の前の女を見上げていた。
「この湖でわたしが水浴びしている間は、何者も近寄れぬよう自然が邪魔をしたはず。」
「自然…?えーっと……、」
それってついさっきまでポコポコ出てきた魔物のことなのだろうか?
ノヴァは首を傾げて考えあぐねていた。
たしかに魔物レベルはCランク以上、もしくはBランク以上の冒険者でも手こずるものだった。
酔っていたから手加減なんてできなかったし、そもそもノヴァの本来のレベルは自分でもわかっていない。
物心ついた時から恵まれた素質を持っていたが、ノヴァにとっては隠すことがいかに難しいことだったか…、と邪険にするレベルであった。
秀でた能力なんていらないし、魔王復活の時代だと騒がれているこの国の救世主、勇者ってものにも興味はない。
(俺は嫁が欲しい……!そして農民になってしあわせな余生を送るんだ…!!!)
昔から検討はずれな目的を掲げているノヴァにとってはこんな能力など使う気は無いものだ。
だから未だに成人しても冒険者としてのレベルをBに留まらせたまま、誰にもそんな素質はない…、
ただのちょっと強い冒険者をしている。
「魔物のことを言ってんならすまん。二日酔いで力加減できなかったからいちいち退治してしまった。」
軽く手を挙げ、これでもBランクの冒険者なもんで…、と。
ノヴァは当たり障りなく言ったつもりだった。
けれど目の前の女は顔をしかめ、まじまじとノヴァを見つめながら腕を組むのである。
「魔物…?そうではない。そんなレベルの話しをしているのではない。あれしきの魔物で絶命する人間など、この地に訪れた時点で身の程知らずというものだ。」
「はあ…?」
淡々と語る女の口ぶりは姿こそ愛らしいが、口調はどこまでもそっけなかった。
ていうか何を言っているのかわからない。
(ツンデレだとしてもツンが強すぎるよなあ…。まあ警戒されてるってことならわからないでもないが……。)
元よりここは危険地帯のひとつ。
レベルの高い冒険者でもまだこの森の奥深くは調査も行き届いていない未開の地だ。
霧に覆われたこの湿地帯では水属性の強力な魔物が多く、その中でも幻術を得意とする魔物に邪魔をされることで有名だ。
それをこなすとなるとSランクの資格が必要になるが、ノヴァは目立ちたくないことと嫁探しに夢中でそんな面倒くさいだけの依頼は受けないことに決めている。
故に、この女が求める答えも持っていない。
「わたしが言いたいのは、何故この湖に辿り着けたのかということだ。」
「なぜって…、喉乾いてたから?」
それしか言いようがない。
標高何メートルの高さから落ちたのかは知らないが、魔力量があるノヴァでも気絶したほどだ。
しかも二日酔いを患っていた。
故に喉の渇きは尋常ではなかったし、邪魔をしてくるものは全て皆殺しだった。
意図していなくても、元より男にもオスにも化物にも興味はない。
美人だけが特別だと言い張るプレイボーイである。
加減ができてもできなくても、やりたいことの邪魔をする奴に対してはとっとと片付けることを決めている。
小首を傾げながら、自分の感覚から言える言葉を正直に言ったノヴァ。
その男に女は眉を顰めて顔を寄せてきた。
精巧で綿密な計算でもされたのかと思うほどの顔立ちの作りはそこらの宝石と比べられないほどに美しい。
柔らかそうな乳白色の肌に、ぷっくりと膨らんだ唇。
なによりもプロポーションのいい身体は、胸のふくよかさを際立たせるワンピースを身に纏っている。
(や、やべ…!勃つって!これ勃つって…!!)
下腹に力を入れ、なんとか欲情の制御をしながら…。
ノヴァは目と鼻の先にいる女を見つめ返して顔が引きつりそうになるのをこらえていた。
最中、
「喉が渇いていたと…。そんな理由でたどり着けたと?」
「は、はひ…っ?……てか近い…!」
「お前、名はなんと申す?」
「の、ノヴァ。…ノヴァ・メフィスト…。」
「ノヴァ…。」
何かを思案するような女の仕草も愛くるしいものだ。
小柄で、白くて、美しい。
なによりもその距離感がツンツンしているのに近い。
(絶世の美女ほんとにいた……!!!!)
偶然の出会いとはいえ、ノヴァにとってはドストライクの女だ。
フィルターがかかっていてもこれは逃せない。
「あ、の…!」
「うむ。わたしの名はゼーラという。」
同じく名前を聞かれると思ったのか…。
女、ゼーラは静かに名乗った。
(ゼーラちゃんかあ…!いいっ!響きも好きだ…!!!じゃなくて…?!)
ノヴァはブンブン頭を左右に振っていた。
(名前聞けてラッキー…!じゃない!!!イケメン力を掻き集めろ俺!!!農民として幸せに暮らす未来の妻がここにいるんだぞ?!)
違います。
(カフェでも開いて、ゼーラと幸せに暮らす家庭で子供は…!ぐふふ…っ!!!!)
何人でもいい!
むしろ何人生まれようが構やしない!!!
大家族大歓迎!
幸せ万歳!!!
平民、農民、なんでもいい!
取り敢えず目立たず普通の暮らしで、普通の家庭で、最愛の妻と相思相愛!!!
(これぞ世界の平和の象徴だ…!)
ガッツポーズをして決意を改めるノヴァはゼーラと名乗った女の手首をつかみ、引き寄せて口を開いていた。
(最大級のイケメン力を掻き集めて口説くのだ…!)
そんな一大決心のような心意気で落とした言葉は…、
「俺のお嫁さんになってください…!!!」
イケメン力も、語彙力も皆無。
ド直球な告白であった。
(ち、ち、ち、違うだろ俺えええええええっっっ!!!!!)
申し込んだ直前で後悔の悲鳴をあげるノヴァだったが、目の前の女はキョトンとしている。
反応が薄すぎて見込みゼロなのだと気づくと余計に落ち込んでしまう。
(し、失敗した…っ!!!てか、これはないだろ俺?!まずはお付き合いだろ?!なんですぐに結婚?!)
落ち着け俺!とテンション迷子のノヴァだったのだが…、
「いいぞ。」
不意に間髪なく落とされた声音に顔を上げるのは早かった。
「いいの?!」
目を丸々として食いつくくらいにはあっさりと了承された返答に驚く。
けれどゼーラは静かに頷きながら、寧ろそんなことでいいのかと言いたげな眼差しだ。
(俺の嫁マジ天使…!!!)
思考崩壊していたノヴァを調子に乗らせるには十分の破壊力であったが…、
「その代わり、頼みたいことがある。」
「なんなりと…!俺にできることならなんでもするって!!!」
ガシッとゼーラの手を掴み直して迫るノヴァはようやく運命の出会いができたと心の底から疑っていなかった。
こんな天使を待ってたんだと。
これまでの嫁探しが報われたと。
ザンにこれ見よがしに自慢して盛大な結婚式をあげようとすら思っていた。
だが…、
「魔王退治を、手伝って欲しい。」
「………え?」
言い放たれたお願いは予想外にもほどがある。
結婚式は?幸せな家庭は?平和なラブラブスローライフは???
そんな思いでぽかんと見つめるノヴァの視界の中では、ゼーラが静かに手を引っ込めてポンっと音を立て、
その身を幼女の姿へと変えていたのだ。
「………は?……はあああああああっっっ?!?!?!!!!」
服のサイズすら自由自在なのか、白髪のウェーブは長いまま。
見た目年齢10歳にも満たない幼げな容姿で地に足をつけたゼーラは顔を上げて口を開いた。
「わたしは魔王を倒せるものを待っていた。」
淡々と紡がれる言葉は、けれどノヴァには聞こえていなかった。
(お、お、お、俺の天使は…?!俺の天使どこいった?!)
キョロキョロと辺りを見回しながら、姿形を変えた天使がガキンチョになったことに卒倒しそうな勢いで現実逃避をしていたのである。
「おい、ノヴァ。聞いているのか?」
「天使がガキに…!俺はロリコン趣味なんてねえぞ?!」
「何を言っている?」
「ガキンチョになんか興味ねえって言ってんだよ?!」
ノヴァの蒼白な顔を見てゼーラは何を思ったのか、またポンと簡単に先ほどの美しい大人姿になってくれていた。
「こっちの姿の方がお好みか?」
「て、天使…!!!よかった!さっきのは見間違い…!」
「幼女の姿の方がなにかと便利なのだがな…。」
こちらの姿だと色々面倒なのだと、ゼーラはボヤきながら小首を傾げるだけだ。
その様に見間違いではなく意図的であったことを知ったノヴァはあんぐりと口を開きながらも頭を左右に振っていた。
(自分の成長を左右できるって…!マジか?!え?なに?この子相当な魔力の持ち主とか???じゃなきゃ魔王退治とかなんとか意味わからんこと言わないよな?!)
少し冷静に頭が回ってきたらしい。
こんな森でストライクゾーン直球で撃ち抜かれた美女の尊さに目が眩んでいたが、ていうか求婚にオッケーもらっちゃったが、
もしかしてなんかちょっと雲行きがあやしいのではないかと、今更ながら気づきだしていたのだ。
「あ、あのー……ゼーラさん?」
「ゼーラでよい。」
「ゼーラちゃんは何者なのでしょうか?」
恐る恐るようやくそれを聞いていたノヴァ。
たしかに好みだが、面倒ごとはごめん被る。
「俺は元より冒険者で、ランクなんてBだ。魔王退治とか無理に決まって…、」
「何をいうか。ここに踏み入ってわたしを見つけだした時点でそんなランクなど関係はない。人間の推し量るレベルにお前は該当などしないはずだ。」
「いや、言ってる意味がわかりかねます…!」
「わたしを前にして虚言を吐くか。」
「いや、実際本当のことなんすけど…?」
ノヴァは自分で能力は隠してきたが、実際Bランク冒険者というのは本当だ。
魔王退治に関しても王都のほうではかなり大々的に、素質ある冒険者を集めて毎月武闘会を行なっているようだが勇者が現れた試しもない。
Sランクだからと言って勇者になれるわけではないこともノヴァは知っているが…、
寧ろそんな情報など露ほども興味がないのでいつも聞き流して終わっている。
「ていうかゼーラちゃん見つけたからって素質あるなんてなんで言い切れるんでしょーか?何者なんすかマジで。」
時間が経つごとに疑わしく思ってきてしまう。
それくらいなんだかトンデモ発言が目立つのだゼーラは。
だけど、
「お前の嫁だが?」
あっさりとひと言。
小首を傾げて言われると疑問も疑惑も吹っ飛んでノヴァの目はキラッキラと輝いていた。
「ですよね?!うんうん!!そうだよね?!俺の嫁!マジ天使!!!」
ガシッとゼーラの手を掴み、迫るノヴァの単純なことよ。
「だから魔王退治してくれ。」
「するする!ゼーラちゃんのためならなんでも…!」
そこまで言って口を閉ざしたノヴァ。
ハッとして、何流されてるんだと気づいた時にはすでに遅く…
「よく言ってくれた。その言葉、ゆめゆめ忘れるでないぞ?お前の言霊、しかと契約させてもらった。」
「は…?」
愛くるしい顔は口元を薄らと緩ませてニヒルに笑う。
(ああ、悪どい顔してる天使も可愛い…!!!)
とりあえず脳みそが緩み切ってドロドロ蜂蜜状態のノヴァはぽやんとしていたが、
いやいやいや!と頭を振って「なにそれ!どうゆうこと?!」と迫っていた。
その問いかけにゼーラはおもむろにノヴァのシャツに手をかけたのだ。
ボタンをひとつひとつ外されていくという行為に、
(だ、大胆…!でも嫌いじゃないぞ?!野外プレイがお好みか?!最初っからそんなことしちゃうのか?!!)
期待と興奮で爆発しそうな股間を使う瞬間に硬直していた。
阿呆である。
けれどそんな期待は大きく裏切られることとなった。
「これだ。」
ゼーラがはだけさせたノヴァの胸元に触れ、そこに浮かび上がる文様を辿ったのである。
「え?は?!なんだこれ?!俺刺青入れた覚えねえんだけど?!」
素っ頓狂な声をあげ、自分の身体を見下ろす先には…、
胸板にはっきりと、六芒星に薔薇(いばら)が絡みつくような文様が刻まれていたのである。
「契約の証だ。わたしとの、な。」
「契約て…、」
「結婚してやるから魔王退治してくれるって言った。」
「んな…?!」
まんまと嵌められたってわけだ。
ノヴァが絶句して口を開いた顔に、ゼーラは終始無表情な上、素っ気ない態度である。
「いやいやいやいや?!なんでだ?!さっきのなし…!」
「そんなことがまかり通るわけないだろう?」
「俺絶対やんねえからな?!そんな面倒なこと?!そもそも俺は嫁を探しててだな…?!」
「わたしが嫁だろ?」
「こんな脅迫まがいなことする嫁なんて嫌だ?!」
確かに見た目はタイプだが、あれよあれよと言ううちに勝手に契約なんてされて魔王討伐してこいなんて飲み込めるわけがない。
嫁が見つかった、バンザーイで終われる内容じゃない。
「脅迫じゃない。お願いだ。そしてお前はそれを聴いてくれたのだろう?」
「違うから?!俺はここに絶世の美女がいるって聞いたから…!女神がいるって!なんでも願いを叶えてくれるって聞いたからだな?!嫁を頼みに…!」
「ああ、なるほど。そうだったのか。ならば安心しろ。わたしが恐らくその女神というやつだ。」
「はい?」
さっきから本当にあっさりと、なんでもないことのようにトンデモ発言ばかりしてくれるこの女。
どんなに愛くるしい顔をしていても引っ叩いてやりたくなるほど清々しくひとの度肝を抜いてくる。
「いやいや、なに言って…」
「まあ元より、わたしに辿り着けた人間などほとんどいないがな。」
「いや、だから…、ほんと待て。待ってくれ。女神である証拠でもあんの?なにその取ってつけたようなタイミングのいい言葉は。」
「証拠?ふむ…。人間とは疑り深くてかなわんな。よし、では何か望みを言ってみろ。とても叶いそうにないことだ。」
しれっと言われたノヴァはマジかこいつ、と目で語っていた。
けれどその視線を向けられるゼーラは至極真面目な顔で待っているではないか。
ならば、とノヴァはひと言。
「この湖を酒に変えてくれ。」
絶対無理なことを言い放っていた。
魔法があり、そして豊かな水があろうとも酒造りは職人の腕で何日も何日も手作業を重ねないと出来上がりは最悪だ。
確かに魔法でも作れるが、その味質はどんなに上級魔法を操る人間だろうが一定量の味にしかならない。
大吟醸なんて作ろうと思って作れるものではないのだ。
昔から、酒の味は人の手が生み出す歴史の産物とも言われる美酒。
魔法が栄えていても、古くからの伝統を絶やしてはならない。
伝統工芸や美術品もそのうちに入る。
酒場がどんなに田舎村でも流行るのはそのためだ。
仕事終わりに美酒を飲む。
安酒だろうがなんだろうが、魔法で生み出すものが全てではない。
近年、魔法で酒造りの限界を試しているようだが今の所うまくいった試しもないのだ。
そんなノヴァの無茶振りに、けれどゼーラは「そんなことでいいのか?」とキョトンとしていた。
「できるならやってみてくれ。」
寧ろできたら信じないわけにはいかないのだが…。
それくらい酒造りは月日のかかる繊細な手間作業だと言われている。
けれどゼーラはふむ、と呟いて湖に振り返り。
静かに湖面へと手をかざして「酒精を呼ぶにはもってこいの水だ。」と呟きながら…
「どうせなら菊酒にしよう。今が見頃の花だしな。」
ゼーラがそういうや否や、湖面が輝き出し、森がざわついて木々たちが枝を伸ばし、
森に咲いていたのだろう菊の花を動物たちが湖へと投げ入れるのである。
あんまりにもあり得ない光景にノヴァがポカンとしている間に、キラキラとした光の屈折の中。
湖面の中へ何かが入り込んでいくのがわかった。
数分もしないうちにゼーラはその湖面の水をすくい取り、「いい香りだ。」と目を細めてノヴァへと振り返るのである。
「できたぞ。飲んでみろ。」
こっちに来いと、ゼーラに誘われるがまま。
もうすでに上等な酒の香りでむせ返っているこの場において、ノヴァは顔をひきつらせていた。
マジか?!マジなのか?!と信じたくない思いで、これを飲んでしまったらもうダメなんじゃないかと立ち竦む中。
「何をしている?飲みたかったんじゃないのか?」
一枚の大きめの葉の上に湖面から掬った酒を運んできて、ノヴァの口元にあてがうのである。
「ここは水質が良いからきっとうまいぞ。」
愛くるしい顔で飲んでみてくれと強請られたらもう後には引けない。
というか…、
(俺の嫁クソかわいいいいいいいいいいっっっっ!!!!!)
もう信じるとか信じないとかどうでもよくなってきていたノヴァはゼーラの手から葉を取って喉奥へと流し込んでいた。
その芳醇な香りとコクのある甘さ。
甘すぎない辛口で、とろりとした感触。
「うま……っ?!」
「気に入ったか?」
大金を積んでもここまでいい酒はなかなか出来ないだろう。
それは何気に酒好きで、嫁探しをしている最中に出会える金持ち連中と飲んでいた酒の味を超えていた。
ノヴァも一応は冒険者だ。
数ある依頼をこなせば大金も舞い込んでくるし、そういう人脈も出来上がる。
嫁以外に求めるものと言えば美味い酒くらいの男であるから舌は肥えているのだ。
そんなノヴァを唸らせる味というのが如何にすごいことか、ゼーラが知るはずもなく。
「このままにしておくと水源が無くなってしまうから、持って帰る分をとってまた元の水に戻そうと思うのだが…。どれくらいほしい?」
ていうか持って帰れる器とかあるか?とゼーラがなんでもないことのように問いかけてくる様には理解が追いつかない。
「戻すって…!は?!そんなこともできんの?!」
「できなかったら言わない。わたしは嘘はつかない。」
「いや、でも…!」
そんな神業聞いたことないし!と言いかけて、ゼーラが女神だと飲み込むことになるのである。
信じざるおえない。
女神だったら神業使えても違和感はない。
だって神だもん。うん。
そんな思考でノヴァが固まってる間、ゼーラも口に酒を運んでなかなかうまくできたと満足げである。
その横顔はあどけなく、年頃の女より少々幼く見えてしまうがやはり愛くるしい。
ここに来て初めて顔が少しほころびを見せたもんだから余計にだ。
(はあああ………っ!ぶち犯……、愛でくりまわしたい!!!!)
欲望がグンと上回るノヴァは既に思考を放棄してゼーラの隣にしゃがんでいた。
「いくらでも持って帰っていいのか?」
「構わんぞ。入れ物はあるのか?」
「収納魔法の許容量まで入れたらここの分、全部なくなるかもな。」
チョイと食うを切ったノヴァ。
そこに空間の亀裂が入り、指をまた湖面に向けて投げるように動かせば、
空間の亀裂が移動して湖面の酒を吸い上げていくのである。
「ふむ。便利なものだな。あれに全部入るのか?」
「まあ、しようと思えば。でも元に戻すなら半分くらいでも…、」
「いや、構わん。全部入るなら持っていくといい。水は大気に溢れているからな。湖を戻すのは簡単なのだ。」
ゼーラは手のひらを作り出し、ノヴァの目の前で手のひらに水たまりができていくのを見せた。
それはおそらく大気中の水分を集めることを実践して見せてくれたのだろう。
「そんなことしたらここは乾燥地帯になるんじゃ?」
「何言ってるんだ。雨を降らしたらいい話だろう?」
「いや、なにそれ。天候左右できるんですか…?簡単にいうよねゼーラちゃん。」
「雨雲を呼ぶくらい造作もない。」
寧ろそんなことで驚くほうが驚きだと、ゼーラが真顔で言うことにいちいち突っ込んでいたら色々ダメな気がしたノヴァである。
取り敢えず、酒を全て収納してとっとと帰ろう。
そんな思いで収納する吸引力を早めて湖面の酒を全て仕舞い込んでしまうと…、
「よし、ではこれから数日館雨を降らせておこう。木陰にでも入るといい。濡れてしまうぞ。」
ゼーラは前もってノヴァを木の下へと指差し、そのままなんの呪文もなければ特別魔力を纏うわけでもなく…。
パチンと指を鳴らしただけでぽつ、と雨粒が落ちてきて、次第にその強さを増していき、あっという間に湖面の中へと水がたまっていく様を見せられたのである。
(いや、ほんとマジかよ……っ。)
顔をひきつらせるノヴァは自分の胸元に視線をやり、未だにある文様の契約印に見間違いでないことを確かめる。
(ゼーラがほんとうに女神だとして…。え?俺の嫁って女神?!マジで?!)
酔った勢いで嫁探しもしてみるもんだなと目の前の光景を見つめてしまう。
そこでは気持ちよさそうに雨に打たれ、顔を上げたまま口元を緩めるゼーラがいる。
ウェーブの強い、ポワポワとした白髪が水に濡れ、体も濡れ、身体のラインが綺麗にわかる全体的に白く華奢で幼げな顔立ち。
(プロポーションは最高だし、なんたって神だし、じゃあ夜の方もすごいんじゃ…!)
とか邪なことを考えているノヴァの顔はデレッデレである。
そんな中、ゼーラは雨を満喫したのかノヴァの元へと低空浮遊で近づいてきて…、
「これで信じてくれたか?」
「そりゃもう!!こんなに美味い酒ももらったし!こんなに美人な嫁も見つかったし!今日はなんていい日…!」
「そうか、それはよかった。ではサクッと魔王退治も頼む。」
「あ…。」
すっかり忘れていた嫁との契約に対し、ノヴァは顔をひきつらせて胸元をつかんでいた。
「取り敢えず、お前の住まう街にでも案内してくれ。」
「いや、それはいいんだけどさ…。魔王退治って絶対しなきゃダメなの?」
「当たり前だ。」
「ほんとに?絶対の絶対の絶対???」
「ほんとだ。絶対の絶対の絶対だ。」
くどいぞ、とゼーラが言う姿を連れ歩き、トボトボと帰ることになったノヴァ。
「だってさ?俺じゃなくても良くない?他にも強いやついっぱいいるしさ?そのうち退治してくれるって…。」
「それはない。わたしの加護がない以上、魔王に到達できても即死だろうよ。」
「でもでもでも…!それで俺が死んだらハッピーラブラブスローライフもパァじゃん?!」
「死んだら蘇生させてやるから案ずるな。」
「そんなこともできんの?!」
「状況と環境と状態によるがな。ていうかわたしとラブラブしたいなら魔王退治してくれないとお前の願いは叶えてやらんぞ。」
ピシャリと言われる。
でもそれは逆を言えばクソほど面倒だし鬱陶しいし危険なんて好んでもなけりゃ人望も信頼も地位も名誉も踏んづけて蹴散らしたいところだが、
それらを得たらラブラブライフにとことん付き合ってくれるということだ。
「ゼーラちゃん、男乗せんのうまいね…。」
「お前が単純なだけだと思うがな。」
「ゼーラちゃん、ちなみに夜は激しい方がお好み?」
「別になんでもいけるけどな。」
「マジか?!マジでか?!じゃあじゃあ!お好みのシチュエーションとか!」
「襲われるのもいいが、わたしは自分が乗る方が好きだ。」
「最高です!!!」
ありがとうございます!とそれはもう綺麗な角度で頭を下げ、欲情と妄想に取り憑かれていたノヴァ・メフィスト。
元より素質は高いが、この国では冒険者ランクBの嫁探しに命をかけていたプレイボーイは…。
「じゃあ早速帰って夜の支度を…!」
「結婚は魔王退治終わってからだぞ。」
「んな…?!」
「それさえ片付けてくれればいくらでも付き合ってやるから、わたしのためにがんばってくれよダーリン?」
くつりと、悪戯っ子のような顔で笑う天使もとい女神の微笑みに、
(だ、だ、だ、ダーリン…!!なんていい響きなんだ?!いい!すごくいいっ!!!俺の嫁!!!エロいのもいい!!!凄くいい!!!)
大興奮のノヴァ・メフィストは大興奮で女神様に乗せられ、流されていた。
「任せろ!マイハニー!!!」
酔った勢いで嫁探しに来たら何故か魔王退治をすることになっていたノヴァ。
それを後々後悔することになるとは露ほども考えておらず、いつもの冷静な思考も崩壊したまま…。
「ちなみにわたしは浮気も不倫も許さんタイプだ。」
「しないしない!絶対しないって!!!寧ろゼーラちゃんのほうが心配…!」
「わたしを疑うのか?契約を交わした時点でわたしの身も心も全てはお前のものだ。好きにして構わん男はノヴァ・メフィスト個人だけである。」
「好きに…っ?!好きにしていいの?!」
「だからそう言っている。」
両手を空に突き出してバンザイをし、涙ながらに神への祈りのポーズをするノヴァ。
「長かった…!俺の嫁を授けてくれてありがとうございます神さま…!」
「あんな奴に礼などしなくてもよい。寧ろするな。人間はどうしていつもなにかとあんなクソ野郎に祈るんだ。」
「え?神様とお知り合いですか??」
「わたしの幼馴染だ。」
「……………クソ野郎って、」
「ああ、クソ野郎だ。」
「……………。」
真顔だ。真顔である。
そしてノヴァは放棄していた思考が戻ってこようとする現実に、直視する勇気もなく…。
ていうかこの幸福な時にそんなことしたくなかっただけなので、
「そうかクソ野郎か。クソ野郎め!俺の感謝は無しだクソ野郎!!!」
顔を上げて取り敢えず罵倒していた。
「うむ、それで良い。」
そして嫁に褒められた。
デレデレである。
「よし!さっさと帰って準備して、魔王をサクッと倒してラブラブするぞ!!!」
「その域だ。頼んだぞダーリン。」
「マイハニーのためならば!!!」
女神に乗せられた馬鹿の中の馬鹿は、現実逃避した幸せな思考でヤる気だけに満ち満ちていた。
下心しかない魔王退治のはじまりはじまり〜。
0コメント