もしも黒猫様が悪女に転生したら22
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「こんな夜中にまでアーティス様の元にいかれるとは…。一応御令嬢ですよ?」
部屋に戻ったロードを待ち構えていたのはリニアである。
こんな時間帯まで起きて小言を言ってくるとは、とロードはため息をついてベットに座ったのだ。
「もう休んでいいと言ったはずなんだけど?なんでまだ居るんだよ。」
「主人より先に休むというのは慣れていませんので。」
返ってきた返答にロードはやれやれと思いながらもそれ以上は言わなかった。
ロードの記憶ではリニアを先に休むよう指示することがなかったからだ。
なにかと仕事を言いつけて動かしていたロード(しかも全部マリア基準)の記憶を辿るとこれ以上は言えない。
だからロードは…、遠は…。
先程のことを思い出しながらふうっと息をついていた。
アーティスが警戒しているのは分かっていても近寄りたいし触りたい。
それは本当だ。
たしかに環にそっくりな場面が多々あるが、別人として見ている。
そしてアーティスとやっと二人きりになれて、話しができると思ったというのに…。
身代わりで好きだというなら信用できるなんて、すごい言われようだったなとフッと笑いつつも、
環でも同じこと言いそうだなと思ったものだ。
夜風に吹かれてぼんやりしていた背中を見た時、環も眠れない夜は窓の外を見てぼんやりしていたなと思い出してしまって…。
思わずつぶやいてしまった名前だった。
聞こえていたのかはわからないが、呼んだ名前に振り返ってきたアーティスに少しの期待が浮かんでしまった。
もしかして自分と同じように環も別の身体に転生してるだけなのかと。
アーティスは環なんじゃないのかと。
けれど、何か言ったか?と言われたことにハッとして根拠もない馬鹿なことを考えてしまったと思い直したのである。
下手に前世の記憶があるせいで、らしくないことを考えてしまった。
それでも記憶は鮮明に残っているから恋しくなる。
その恋しい人にそっくりなアーティスが環であれば、あそこまで拒絶はされないだろうと分かるのに。
最初こそ環も遠をすこぶる拒絶していたが、ちゃんと愛し合える仲にはなっていた。
もしも同じように転生しているとしたら、触らせてくれるはずだ(多分)
「いや、別人の見た目だし…。また振り出しに戻って拒絶される可能性もある…か?」
ロードはうーんと唸りながらそれはそれで悲し過ぎやしないか?と考え込んでいた。
そんな主人の姿にリニアは「何をぶつぶつ言ってるんですか?」と呆れ顔で問いかけてくる。
「お前ってさあ、誰かを好きになったことある?」
「はい?」
「だから恋愛したことあるかって聞いてんの。」
ロードが突拍子もなく問いかけてきたことに、リニアは眉根を寄せていた。
「戸籍もない孤児で、拾われた大人に人を殺す術だけを叩き込まれ、結局使い捨てのように捨てられた俺が…ですか?」
「言い方な。生きることに必死だったのはわかるが今はそうじゃねえだろ?」
「今も必死ですよ。馬鹿皇子の問題発言及び、奇行に付き合わされていたら命がいくつあっても足りないじゃないですか。アーティス様の側近たちに殺されかねませんので。」
「お前ね………。」
嫌味な奴だなとロードが見つめるものの、リニアは素知らぬふりをしていた。
そりゃあそうだ。
たったひとりの女に懸想し続けていた主人を見ていたのだから。
こんな風になるなら恋愛なんてゴメン被るとすら思っていたリニアである。
けれどマリアからアーティスに想い人が変わったロードは、執着は見受けられるが前ほど行き過ぎた行動はしていない。
「じゃあ好みのタイプとかは?」
「はて、恋愛などしたことがございませんのでわかりませんね。」
「面白みのない奴だな〜。ぱっと思い浮かぶ顔とかねえの?」
「……アーティス様ですね。」
「うん、お前早くアーティスの側近に殺られてしまえ?」
にっこりとロードが態度を一変させることにリニアはため息をついていた。
そりゃあ最近頻繁に会う女性といえばアーティスしかいないのだから、思い浮かぶ顔は?と聞かれたらそれしかいえない。
マリアの時でもきっとそう聞かれたらマリアの名を出しただろう。
だからって別に好みではない。
毎日見せられているからそう言っただけである。
「でもまあ、お前みたいなタイプはアーティスより椿みたいな奴の方がいいんだろうね。」
「ツバキ?誰ですかそれ?」
長く皇子のそばに居るのに、聞いたことのない名前を出されたのでリニアが反応していた。
「ああ、いや。ちょっとした知り合いというか…。」
別に気にする相手ではないからとロードは言葉を濁していた。
そりゃそうだ。
椿はガッツリ前世の知り合いに当たる。
環の双子の姉であり、自分の兄の恋人でもあった。
リニアのように従順そうで反抗的なタイプは環のような生意気な女よりも、椿のような女王様タイプの方が相性がいいんじゃないかと思っただけである。
「そのツバキ様という方が俺に相応しいと?」
「うーん、どうだろうな。お前が本当に誰かを好きになった時、どうなるのかわかんないし。なんとなく言っただけ。」
「左様ですか。」
「ていうか恋愛には興味あるみたいだな?」
「…まあ、間近で馬鹿皇子を見ていますので。どんなものなのかとは考えますね。」
「そうかそうか。出会えるといいねえ。お前が好きになる相手は俺も見てみたいし。」
「………」
くすくすと笑いながらも温かい眼差しを向けてくれるロード。
リニアはこれまでロードに仕えてきたが、一度たりともそんな目を向けられたことはなかった。
あくまでも側近として、道具として、役に立たないなら切り捨てられると理解できる扱いしかされてこなかった。
…だというのに、今のロードはまるで以前のロードとは違う。
まるで家族とか兄弟でも見るような視線を向けてきて、馬鹿皇子と連発したところで怒ることもない。
不思議な感覚にリニアは何も言葉にできず突っ立っていたのだが、
「ていうかお前も早く風呂入って寝れば?俺の部屋の使っていいから。」
まだお湯溜まってたよな?と確認しに行くロードが従者に自分の部屋を使わせるなんてことも絶対になかったこと。
あり得ないと思うのに、けれど…
「ほら、早く入れよ。お湯足せば使えるだろ。俺の後で悪いがな。」
「………はあ。」
テキパキとリニアの服を脱がせ、時間も時間なので着替えすら出してくれるロード。
「あの、そこまでしていただかなくても…。」
「ん?ああ。いいだろ別に。好きでやってんだし。世話好きなの俺。」
「そんなこと初耳ですが?」
「本当ならアーティスを構い倒して身の回りのことなんでもしてあげたい反動だから付き合え。」
「…………」
馬鹿皇子はやっぱり馬鹿皇子でした。
完結したリニアの結論は頭の中でのみピコーンと答えを弾き出すと、いつも通りロードの指示通り素直に言うことを聞いたのである。
まあ、前はマリアに関することで様々な仕事を言い渡されていたことが、
アーティスを構えないという反動で至れり尽くせりになってしまっている。
良いのか悪いのかはさておき、
「でさあ〜、さっきクッキー持ってったのに食べてすらくれなくてな、」
「あの、風呂に入りながらも話を聞かなければならないのですか?」
入浴中に普通に座り込んで話しかけないでほしい。
さすがにリニアもドン引きしていたが、ロードは取り出したクッキーをリニアの口の中に入れていた。
「勿体無いからお前に餌付けしようと思って。」
「…………」
いきなり口に入れられた甘い味にモグモグしながらも、この人は…と思ってしまうリニアである。
こんな人ではなかったはずだが、と思うものの前のロードに戻られるよりはこっちのほうがいくらか付き合いやすいのも事実だった。
「てかリニア。お前の身体傷だらけじゃん。」
「まあ、それなりに死線をくぐってきてるので。」
「格好いいねお前は。」
「はあ…。生まれた境遇が違うだけでは?」
「じゃあ俺のためにアーティスの側近をどっかにやってくれよ。」
「無理言わないでください。あれらの顔ぶれに俺一人で敵うわけがないでしょう。死ねと仰るなら従いますが。」
「嘘だよ。寧ろ死ねなんて命令するわけないだろ。俺より自分の命を守れよ。」
「………それは、主人としてどうなんですか?主人を守るのが俺の義務なのですが?」
「自分のことも俺のことも守ってこその従者だろ?お前が死んで助けられる命なんて重いし嬉しくもないし、自分の無能さを恨みそうだから。死んでまで助けなくていいぞ。」
「………」
入浴中にする話しでもない気はするが、けれどロードにそんなことを言われるとは思ってもいなかったリニア。
そりゃそうだ。
幼い頃から死ぬことへの恐怖はとっくに無くなっている。
自分の命を惜しいとなんて本気で思ってもいない。
けれど今のロードは、
「お前が死んだら寂しいじゃん?話し相手が居なくなるのも困るし。」
なんて言ってくる。
自分の命にそんなことを言う人など今までいなかったからリニアは受け止め方がわからず黙り込んでいた。
するとまた口の中にクッキーを入れられていたのだ。
「あ〜、お前がアーティスだったらいいのに〜っ。まあお前がモグモグしてる姿見るのもそれはそれでレアな気もするけどさあ〜。」
風呂の淵に腕を置いてしゅーんとする馬鹿皇子。
ていうか、
「いつまで人の入浴中に居座る気ですか?」
そろそろ身体も洗いたいし、口の中は甘ったるく、クッキーのせいで喉も渇いている。
リニアの問いかけにロードはジト目を向けながら、
「なんだよ。お前も俺のことを邪険にするのか?」
なんて言ってくるのだ。
この馬鹿皇子はアーティスが思い通りにならない事に凹みながらも、喜んでいる変人だ。
そしてその鬱憤をリニアに向けるのはお門違いというもの。
「クッキーのせいで喉が渇いてるんです。早く出たいのでそろそろ…」
「ああ、すまん。気が利かなかったな。水がいいか?それとも果実水?あ、酒でも飲むか!」
「いや、出たいだけで…。」
「男同士で飲むのも悪くないな。すぐ持ってくる!」
人の話を聞かない馬鹿皇子はリニアのわがままに喜んでいるようだった。
わがままを言ったつもりなどないし、とっとと風呂から出て馬鹿皇子から聞かされるどうでもいい話しから逃げたいのだが…。
「色々用意してたら浴室に運びきれなかった。リニア、早く出てこい。一緒に飲もう。」
「………。」
リニアはこの時盛大に後悔していた。
もう休んでいいと言われた指示に従っていればよかったと。
そして風呂から上がれば机の上にズラリとさまざまな種類の酒が並んでおり、
なんならツマミまでロードが用意していたのだ。
「お前はどの酒を好むんだ?」
「いえ、お酒はあまり得意ではないのですが…。ていうか部屋に戻って寝たいんですが?」
「じゃあ最初は手堅くビールからにしよう。風呂上がりならきっと美味いだろう。」
「…………」
その後、ロードに付き合わされたリニアは暗殺者として一番やってはいけない酒に飲まれて無防備になるということをしてしまい、
明け方近くまで付き合わされて二人とも寝落ちしていたのだ。
そしてリニアもロードも二日酔いで次の日はしばらく動けなくなり、
お互い頭痛と吐き気で部屋を行ったり来たりすることになるのだが、
「おええええええ……っ。」
「隣で吐かないでくれませんか?う…っ、俺に移るじゃないですか…っ。」
「仕方ねえだろ。う…、おろろろろろっ。」
「宮医に薬をもらってきます……。おええっ。」
「ゲロまみれでか?やめとけ。ただの二日酔いに効く薬なんてねえよ。大人しく寝とけ。」
「従者どころか暗殺者失格のレッテル貼らないでくれませんか?」
「従者とか暗殺者以前に、お前は俺のものだろ。」
「………」
あろうことかロードの部屋で、ベットで、二人して寝そべりながらぐったりと過ごす時間になったものの、
二人の距離が知らないところで縮まっていたのだった。
「お前が女だったらなあ…。」
「気色の悪いことを言わないでください。犯罪ですよそれ。」
「襲うなんて一言も言ってないだろ。」
「女だったら襲ってたのにっていうニュアンスでした。」
「まあ、そうだけど。」
「アーティス様がいるのに、随分と軽く裏切りますね。」
「…そんなんじゃねえよ。お前が女だったら、好きになれたかもしれないなって思ったらアーティスを追いかけなくて済んだのにって話し。」
「…………後悔してると言いたいんですか?」
リニアは驚いたように隣で寝そべっているロードを見つめていた。
けれどロードはフッと笑っていて、
「拒絶されることに傷つかないわけじゃないってこと。」
「………」
ゆるく微笑んで、傷つきながらも好きだから仕方ないと割り切っているんだと示してきたのだ。
「男に生まれてきてこんなに感謝した日はありません。」
「言うねえ〜。性別変換できる魔法とかないの?」
「あっても殿下には絶対教えません。」
「ははっ。まあ、俺は別に性別に拘るタイプでもないんだけど。」
「遠回しに男でも抱こうと思えば抱けると聞こえた気がしたんですが?」
「うん?」
にっこりと笑いかけられるとリニアはゾッとして口をつぐんでいた。
アーティスがあれほどまでに警戒するわけだ。
たしかに、怖い。
ロードの底知れない執着と愛情を向けられたことなんてなかったから、早く諦めたらいいのにと思っていた手前、
アーティスの気持ちが理解できてしまったリニアは…、
「そういうところ、直した方がいいと思います。」
「そういうところ?」
「無神経というか、デリカシーがないというか…。殿下にとっては愛情表現の一種かも知れませんが、受け取る側は怖いだけの押し付けがましい愛情にしか感じないんですよ。」
「ふうん?お前もそれを感じたの?」
「ええ、今しがた。」
異性とか関係なく抱こうと思えば抱けるなんて、愛情表現とは思えない。
単なる脅しだ。
けれどそこら辺を理解できるのはこれまでのロードを見てきた経緯があるから。
リニアは酒の残る身体を沈めながら…、
「ストレートすぎる言葉は理解し難い事もあります。」
静かに呟いて目を閉じていた。
気だるい身体は言うことを聞いてくれない。
殿下のベットに一緒に横たわるなんて言語道断だとわかってはいるのに…、
「理解して欲しいんじゃない。俺が欲しいだけだからね。」
ロードはそんなリニアの頭を撫でて、けれど忠告はちゃんと受け取ろうと呟いていた。
表現力があまりにもストレートですこぶる怖いと思うものの、こうして触れられる優しく温かい温度にリニアは夢の中に誘われていくのだ。
ロード皇子殿下は、前と比べて変だし何を考えているのかわからないけれど。
「男を抱き枕にするのもなあ〜。」
微睡に逆らえず眠ってしまったリニアを見つめながら、ロードはため息をついていた。
「あーあ、にゃんこと遊びたい。」
そんな呟きをリニアが聞くことはなく、ロードはうつ伏せになって枕に顔を埋めていた。
前世の記憶が強く残っているおかげで恋愛なんて無理だと思っていたが、
あの生意気な黒猫にそっくりなアーティスを見つけた時は心が躍ったものだ。
けれど…、
「もしかしたら本当に環なんじゃ…?」
なんて馬鹿みたいなことを考えてはフッと笑ってしまう。
そうであればいいなと思う反面、そうであればなぜ拒絶されているのかも知りたい。
いや、お互いに転生していますなんてことを教え合っていないのなら当然か。
まあどちらにせよ、
逃す気はさらさら無い。
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