絶食系男女の恋愛観
絶食系とは?
「あ、ん……っ。それ…、やめ……っ!」
「慣れろ。今回は調教ものなんだよ。」
「……んんっ、バイト代はずんでよね……っ。」
「わかったからちゃんと虐められろよ。口答え多すぎ。」
「ひ、ん……っ。は……っ、」
卑猥な音。煙草の香り。
稼いでることが丸わかりの4LDKの部屋はいつも見る自分の部屋と同じ。
手首を縛られ、寝室で淫らなことをするのも慣れたこと。
甘く唇を塞がれて、いつもと違ってサディスティックな顔つきを見ると笑ってやりたくなるんだけど我慢我慢。
色々と買い込んだモノを使いまわして、あたしの反応を伺いながらしっくりきたものを選んでいく。
ちょっとアブノーマルな今回のこれは、もちろんあたしの性癖なんかでは断じてない。
そしてこの男もまるでそういう性癖なわけではない。
これは、
「ほれ、バイト代。」
「マジ?!こんなにくれんの?!」
「無理させたしな。それにようやく筆が進みそうだし。」
____ただの仕事。
肉体労働ってやつ?
だからってあたしは娼婦でもなんでもない。
バリバリ社会人やってるOLだ。
なんでこんなことしてんのかって聞かれると、トモダチの頼みだからとしか言えない。
「一葉(イチヨウ)は風呂入んないの?」
「頭の中にあるやつ先に書き起こしてえから、勝手に使ってて。」
「あいよー。」
そしてこの男、一葉は官能小説家でありあたしの住むマンションのお隣さん。
勿論、恋人でもなんでもない。
さっき言ったようにただのトモダチだ。
あたしにとって恋愛なんてものはまるで興味のないもので、それは一葉にも言えること。
お互いにひとりの時間が何より大切で、仕事はちゃんとする。
恋人とかそんなものを作ろうなんて考えちゃいない。
そんなことに時間を割くくらいならいつものメンバーと集まってランチとか行くし、趣味に没頭する。
そんなあたしのスタイルと一葉のスタイルは完璧にマッチしてて、今では本当に気の合う親友並みの関係だ。
だからよく勘違いされるんだけど、決して恋人ではない。
あたしは一葉をそんな目で見たことないし、そもそも見れない。
それはおそらく向こうも同じ。
あたしたちはただ、会いたい時に会えて、やりたいことをやれるひとりの時間があればいい。
それだけでいいのだ。
一葉と出会ったのはたまたま、それこそゴミ出しの日に鉢合わせた時だった。
お互いに部屋着で、あたしなんかメイクもしてないし、髪だって寝癖だらけだった。
それは一葉にも言えることで、いつも見かける姿はお洒落でセンスある服を着こなしてんのに、そんな片鱗はカケラもなかった。
だからってお互いに引くでもなく、どーもって会話でエレベーターに乗り込むまで何にも考えちゃいなかった。
ただ、帰る部屋が隣同士。
あたしが905号室で、一葉が906号室。
それだけは偶然と言ってもちょっと驚いたんだ。
お隣さんの顔、初めて見たなって。
それからちょくちょく顔を合わせるようになって、気さくに話すようになって。
いつの間にか普通にご飯行ったりするようになってた。
染めてない黒髪に、いっつも気だるそうな切れ長の瞳。
ルックスだけはすこぶる良いもんだから彼女の一人くらいいるのかと思ってたんだけど。
「恋愛に興味ないし。てか、そんなもんに金使うのアホらしいし。」
…という返答が返ってきたことにはすこぶる共感した。
自己投資が一番有意義なものだと考えており、恋愛にお金を使うなんて概念がそもそもない。
興味もなければ、そういうことには疎くて。
逆にアプローチされたり恋愛を匂わされると逃げる。
実にあたしと同じスタイルの男だと運命を感じた瞬間だった。
だからこそあたしたちは周りの目がどう捉えていようがトモダチという枠からはみ出すことはない。
だから、
「咲耶(サクヤ)ちゃんって付き合ってる人いるよね?!私たまたま見かけたんだけどさ?!駅前のスーパーで凄いイケメンと買い物してたの!!」
同僚で隣に座ってる子、先輩、女友達。
世間ってものは狭くて、あたしが一葉と庶民スーパーで互いに部屋着で買い物しててもこれだ。
「違う違う。あれトモダチだから。」
「え、嘘?!トモダチ?!なんで?!」
「なんでって何?」
その疑問が疑問なんだけども。
トモダチであることをなんでと言われても返しようがないわ。
「超お似合いだったのに〜っ!目つけてないの?!」
「いや、そもそもそんな目で見てないし。」
てかまたこれかよ。
あたし、恋バナとか苦手なんだけど。
てか興味ないから話題変えて欲しいんだけど。
どんなに一葉のことを聞かれたって、そんな面白い話なんてない。
スーパー行って買い物するのだって毎日やってるわけじゃない。
たまたま部屋から出るタイミングが重なった時とか、物寂しくなった時にどちらかが連絡して夕飯を食べる程度のもんだ。
「それなら私に紹介してよ!」
「ああ、ごめん。あの人そういうのほんと無理だから。」
「はい?」
「紹介したところで逃げられると思うよ。」
「逃…?!」
「恋愛するよりひとりで居たい派だからさ。」
追いかけるだけ無駄だし、恋情を抱くだけ無意味。
何もあいつを独占したいとかそんなことを考えて言ってるんじゃない。
そもそも紹介しちゃえばあたしが一様から避けられるわ。
そういう女だったのか、面倒だなって思われて終わるわ。
それにトモダチの嫌がることを知ってて押し付けるほど、あたしは人情を蔑ろになんかしませんよ。
あっさり言いつつ、話題を変えようとランチのパンを齧りながら
「そんなことよりネイルかわいいね。それジェル?」
「あ、わかる?!そーなの!評判いいお店があってさ!試しに行ってみたらあたりだったんだよねー!」
「へえ〜、あたしも行ってみようかな。」
「あ、紹介しとくよ!てか咲耶ちゃんって休日何してんの?」
謎だったんだけどさ、と問われるとひと言。
「え、引きこもってるけど?」
「……え?」
「ん?」
____沈黙。
キョットーンとされても言葉通りなのだ。
だからって外に出かけることが嫌いなわけじゃない。
あたしの趣味は撮り溜めたドラマや映画をぶっ通しで見ることなのだ。
あと、ゲーム。
「あ、ひとり映画館とかひとりカラオケとかもよくするよ。」
「えええ?!なんで?!寂しくないの?!てかそれ楽しいの?!」
「楽しくなきゃやんないし。」
興味があればどこにでも行くし、趣味になるものがあれば没頭もする。
でもそれはあくまでもひとりでだ。
誰に邪魔されることなく自由に好きなことを好きなだけする。
この醍醐味がわからんとは、全くもって理解しかねる。
「じゃあ今週の土日は…」
「うーん、ひとり映画かなあ。好きな監督の新作出たし。」
それから街中ぶらついて、テキトーに帰る。
そんなザックリとしたプランに同僚は信じられないとあたしを見つめてくるが。
そもそも休日に好きなことを好きなだけするのは普通なのではないか?
やたらと予定を入れて忙しく休日を過ごすなんてあたしは御免被る。
そんな会話もほどほどに、ランチを終えて仕事して。
真っ直ぐ帰宅すれば今夜から二日間。
待ちに待った休日だと浮かれるのは学生も社会人も変わらない。
そして予定してたひとり映画館を堪能して街をぶらついて、幸せな休日を送るあたしは自分を不幸だと思ったことは一切ない。
気分良く帰路を辿り、エレベーター前に行くと偶然にも一葉と鉢合わせたのだ。
「やっほー。仕事終わったの?」
「ああ…、なんとか。何?機嫌いいな。」
「むふふっ。わかる〜?やっぱあの監督の映画は最高だわ!」
「は?あれ観に行ってたの?いいなあ、俺も観たいのに。」
「ネタバレする?ねえ、する??」
「したらくすぐりの刑だからな。」
「てかそっちは何してたわけ?出かけてたの?」
「いや、コンビニ行こうとして財布忘れた。」
「なんじゃそりゃ。」
慣れた会話。慣れた空気感。
特別なことなんか話してない。
そもそもトモダチってこういうもんだろう。
「まーた夜通しゲームしてたの?」
「またって言うな。またって。」
「それで仕事遅れてちゃ世話ないや。」
「うるさいな。ちゃんと期限には間に合ってるから。」
「ギリギリね。ギリギリ。」
「いちいちムカつく奴だな。」
ムッとしてあたしを軽く睨んでくる一葉はこれでもあたしの4歳年上。
24歳のあたしと、28歳の男がトモダチですって公言したところで信用されないのも無理はないかもしれない。
「あ、昨日さ〜。同僚に一葉を紹介されてって言われてさ〜。」
「なんで俺のこと知ってんの?」
「先週、スーパーで買い物してたところ見てたんだって。付き合ってんの?ってまた言われた。」
「ふーん。」
「それだけですか?説明するのがもう面倒臭くなってきたんだけど?」
「じゃあ肯定も否定もしなけりゃいいじゃん。別に俺には被害ねえし。」
「あたしが困るわ!!あたしの彼氏は官能小説家してるって広まったらどーすんの?!」
「知らん。」
「殴るぞ貴様!」
エレベーター内でそんなことを話し、部屋にたどり着くまで。
あたしたちはこんなもんだ。
お互いにひとりの時間が好きだから毎日連絡取り合うなんてあり得ないし、殆どの時間。
あたしたちは互いに干渉なんかしない。
まあでも、
「てか、今日何作んの?咲耶ちゃん。」
「そういう時だけちゃん付けやめてくれないかな?なに人ん家の晩御飯狙ってんの?」
「いいだろ別に。俺んとこの冷蔵庫空っぽなんだよ。また下に降りるのも面倒だし。」
「ま、別にいいけどさ。何よりバイト代入ったからねんっ。今日は奮発してお肉買ったから焼肉だし。」
「俺の金じゃん。」
こうしてばったり会ったり、互いの都合が悪くなければ普通にどっちかの部屋に入って過ごすことはザラにある。
男を部屋に入れるとかあり得ないって考えはない。
そもそもあたしは一葉を男として見てないのだから。
それは一葉も同じだ。
ダイニングで焼肉を囲って、ビールを飲みながらなんでもない話しで盛り上がって。
それだけで楽しめるあたしたちは誰がなんと言おうと健全なオトモダチである。
「てかさ、なんで一葉は官能小説家になったの?」
「たまたま書いたもんがヒットしたから?」
「そんだけ?」
「うん。元々文字書くのは好きだったから、パソコンで書いてて。小説応募コンテストみたいなのに投稿したら優秀賞もらってそれから。」
「そんな風になんの?小説家って。てか書いてたもんが最初から官能小説ってどういうこと?」
「女体は神秘だぞ。空想の中では色々できる。」
「ただのド変態じゃん。」
ビシッと顔きめられても乗れねえよ。
ソファでおつまみを囲い、チューハイに切り替えたあたしたちは部屋着姿で出かける気は一切ない。
勿論あたしはスッピンだし、さっさと風呂も入ってるというとんでもなくラフな格好だ。
「じゃあなに?あのアブノーマルも一葉の趣味?」
「趣味っていうか、好奇心?一度書いてみたかったし、やってみたかったから。」
「ほう。あたしをそれに使ったと?」
「だからバイト代弾んだだろ。」
なるほど。いつもより金額が多かったのは罪悪感からですか。
まあそれに本気で怒りとか嫌悪とかはないけども。
お互い人間なんだから、欲求だってそれなりにあるし。
発散させてくれるって意味ではあたしも満足してるし。
下手にワンナイトとかすんのも面倒だしね。
まあでも、
「主人公が実は能力者で、犯人だったよ。」
今日の新作映画のネタバレをしてやる意地悪くらいならいいだろう。
サラッと言えば、
「おま…っ?!」
一葉も予告だけはしっかり見ていたようで、すぐに気づいてあたしを凝視してきた。
ベーっと舌を出してやれば、
「こんの…!」
「あははははっ!ちょ…!やめ…っ!」
「お前まじでふざけんな!」
「あはははははっ…!ご、ごめんって…!」
エレベーター前で言われた通り、くすぐりの刑に処されてしまった。
ケラケラ笑いながらも床に転げ落ちるあたしに、尚もくすぐりをやめない一葉には身をよじって謝る他ない。
笑ってるけどこれ結構苦痛だからな?!
「ごめんってば…!も…っ、やめ……!」
ヒーヒー笑って乱された姿のまま、一葉の胸板を押して見上げると
「そういや俺、溜まってんだけど?」
なんて言ってくるのだ。
お詫びに抱かせろってことらしい。
あたしたちに恋愛感情ってものはないけれど、それなりにある欲求を埋め合う関係ではある。
仕事として付き合うことの方が多いけど、それ以外のプライベートで。
せっかくお互い男と女だし。
ひとりでするよりいいだろうってことになったのはいつからなのか覚えてすらない。
「別にいーけど。ゴムないよ?買ってきたら付き合ってあげるけど?」
「じゃあひとりで抜くわ。」
「あ、ごめん。ティッシュも切らしてる。」
「なんで肉買ってきてティッシュ買わねえの?」
「お肉で頭いっぱいルンルンだったんだもんよ。」
「じゃあ風呂で抜く。」
「いや、買ってこいよ?!」
あっさりとあたしの上から立ち上がって、人の風呂場を使おうとシャツまで脱いでる一葉。
ついでに風呂も終わらせる気でいる背中には思わず叫んでしまったけども、
「もう外に出るの嫌。」
気分じゃないとあっさり浴室に消えてしまうんだ。
そしてその感覚があたしにもよくわかるもんだから何も怒ったりしない。
人ん家でシコシコ抜こうが何しようが一葉だしな、で終わる。
トモダチだからで終わるのだ。
それくらい付き合いは長いし、そう簡単に終わる関係やってないから。
だからあたしは服を整えつつ飲みかけのチューハイを口に注ぎ込んであくびをしてた。
そのまま片付けを簡単に終わらせて寝室に行き、一葉を待つなんて概念もなくベットへとダイブして寝る気満々だったんだけども。
「あ…、」
不意に視界に入ってきたベットサイドのテーブルの上。
ビニール袋に入れられた四角いそれに、あたしは頭を掻きながら振り返ってしまった。
長風呂でもない一葉はタイミングよく出てきて、上半身裸のままあくびをこぼしてるけど。
「ごめん、一葉。ゴムあったわ。」
見てこれ、とヒラヒラさせると。
一葉は口元を引きつらせて歩み寄ってくるのである。
「なんだそれ。イジメ?」
「被害妄想激しいな、一葉くん。あたしがそんな面倒なことをすると思ってか?」
「お前のものぐささは俺を辱めるためにあるんだとたまに思う。」
「さすが官能小説家。全部そっち方面に考えちゃうなんて仕事し過ぎなんじゃないの?」
ベットに乗り上げてきて、目の前に座る一葉。
夜の寝室に二人きりで、相手は上半身裸で。
夕飯も一緒に食べて。
こんなシチュエーション、そういやなんかのドラマで見たなとか思ったりして。
だからってドキドキするとか、好きだなあとか、そんな乙女心は持ち合わせちゃいない。
「勿体無いし使っとく?てか一枚あるの困るんだよね。絶対無くす自信あるわ。」
「雑か、お前は。コンドームの消費のために俺を誘うのかよ。」
「だってコンドーム様はあたしじゃ使えないしさ。なんならあげるよ。誰にでも使って。」
「そんな相手、お前以外にいねえっつーの。」
女をいちいち引っ掛ける男だと思うのかよって一葉は悪態をこぼしながらもあたしの手からゴムを受け取っていた。
そうなのだ。
恋愛に興味ゼロのあたしたちは欲求を埋めるためだけに関係を築くなんて面倒なことはしない。
それが続けられる相手ならいいけど、出来ない確率の方が高いし。
なによりマメに連絡とか寄越されると困るし、
そもそも会いたい時に会いたいだけで頻繁に誰かに呼び出されるとかマジで勘弁だし。
何より快楽主義でもなけりゃ、そんな遊びにハマってるわけでもない。
ただ人間に当たり前にある欲求に関して、慰める仕方の効率性だけを求めているのである。
「しかも一枚だけって…。せめなて二、三枚ねえの?」
「お盛んですね、おにーさん。」
「仕事の方ばっかでご無沙汰だったからな。」
「あ、それはあたしも。」
仕事で呼ばれる時は欲求以前に、一葉の書いてるシチュエーションに合わせなきゃなんないから満足できるかって聞かれるとそうでもない。
ふつーの体制ならまだしも、官能小説ってもんは思った以上に色々とこだわっシチュエーションがあるのだ。
あたし別にSEXにはそんなにこだわりとかないし、性癖とかふつーだし。
ガツガツ求め合うとかそういうのないから求められればどんなことでも大概はやるけども。
だからってそれを楽しめる快楽主義でも欲求が人より強いとかでもないから、こうして当たり前に気が向いた時。
相手にしてくれたらそれでいい。
「生とか、」
「最低か貴様。責任とれるんだろうな。」
「よし、ジャンケンな。」
「率先して買いに行けよな?!どんだけめんどくさいんだよ!!」
SEXしたいって欲求よりも、ゴムひとつ買うことが面倒で。
あればやるし、ないならやらないけど。
中途半端にひとつあることと、この先のことも考えると補充は必要不可欠。
だからこそ当たり前にジャンケンの流れになるあたしたちの間柄はこんなもんだ。
「あ、勝った。」
「マジかよ。まって、もう一回!」
「一葉さん、マジでヤる気あんの?」
「あるある、すげえある。でも外に出んのは嫌。」
「我儘言うんじゃない。ついでに箱ティッシュとトイレットペーパー買ってきて。」
「お前も自分でいけよ?!」
「外出たくない。」
こんなあたしたちに恋愛感情が芽生えることなんか一生ないだろう。
この時は確かにそう思って疑ってなかったのだ。
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