逢魔時

逢魔時

「ほんと美男美女だよねえ。」
「浮気なんてしようと思わないよねあれは〜。」
「浮気してたとしても、相手がどんな顔か見てみたいわ。」
「ほんとそれなー!」

今日も賑やかな昼休み。
話題はもっぱら、この学校でお似合いカップルと言われている先輩のこと。

このクソ暑い夏の日差しの中、いつも中庭でランチする2人は誰もが日課のように見下ろして同じ言葉を吐く。

女で生徒会長を務める文武両道、頭脳明晰なんて謳われている瞳先輩と。

弓道部の主将を務め、王子様だと騒がれ続けている和服男子。

誰もが噂の的にするそのカップルをあたしも窓から一瞬見下ろすものの、

野菜ジュースをズコーッと飲み込みながら胃を膨らませることへと意識を逸らすのだ。

みんな言う。
癖っ毛の黒髪に垂れ目がちな瞳。

道着を着た和服の似合う王子様だって。

付き合って1年。
一途でイケメンでスポーツ万能なんて理想的すぎるって。

それを聞くたび、バッカじゃないの?って思ってしまう。

だって、

「遅いわ〜、初音(ハツネ)ちゃん。俺待ちくたびれてもーたわ。」
「時間きっかりですけどね。」

放課後の弓道場。
誰もいなくなったそこには道着姿で胡座をかき、その上に頬杖をついて文句を垂れてくる先輩がいる。

そう。
みんなが王子だのなんだのと言い放つ男が。

歩み寄りながらも後ろ手に扉を閉めて、ピンと張ったような独特の空気感の中。

携帯を取り出して時刻を確認していた。

キッカリ18時。
逢魔時の時間だ。

「いけずやなあ〜。早よ会いたいとか思ってくれんの?」
「それなりに思ってますよ。」
「それなりかい。」

ふて腐れたように眉根を寄せて、そのくせあたしにかるく両腕を広げる先輩。

おいでと誘っているのか、それとも文句でもあるのか。

矛盾した言動の差にはいつも少し笑ってしまう。

そうして携帯を仕舞いながら、制服のネクタイを緩めて。

あたしは先輩の膝に躊躇いもなく乗っかるのだ。

この人が一途だって?
浮気なんかする気も起きないだって?

馬鹿は休み休み言え。

男なんてみんな浮気する。

どんなに彼女が完璧だろうが、どんなに誠実そうな顔してようが。

「ん……っ、……は。いきなりガッつき過ぎじゃないですか?」
「ええやん。それともお喋りでもしたいん?」

先輩の腕に収まった瞬間、深々と奪われる唇。

何度も角度を変えて、貪りを深くしながら。

酸素ごと奪われていくと頭は簡単にぼーっとする。

だからってされっぱなしも好きじゃないし。
っていうかあたし、攻められるより攻める方が好きだから。

キスに夢中になってる先輩に応えてやりながらも、すでに慣れた手つきで道着を脱がしていた。

手を這わせ、すでに反応してる先輩のモノを圧迫するように身体を密着させて。

「…っ、……はっ。」

小さく呻いて口づけから意識がそれた先輩の首筋を舌先で辿って、

柔らかな黒髪を撫でながら甘噛みしてやるのだ。

「初音、ちゃ……っ。」
「ほんと、乗られて攻められるの好きですよね。学園の王子様がドMの変態だって言いふらしてやりたいですよ。」

彼の顎を掴んでニヒルにほくそ笑むと、先輩はトロンとした目で甘えるようにあたしに口付けてくるのだ。

「今は、先輩呼びやめえや…。」
「それはあたしが決めますから。いつどこでどう呼ぼうがあたしの勝手でしょう?」
「………、」
「言うこと聞いて欲しいなら、ちゃんとお願いしてくださいよ。先輩。」

にっこりと笑い、背中に回した手でかれの背筋を辿りながら。

腰のあたりをつめ先でカリカリとかいてやれば、あからさまに身体を跳ねさせて震える始末。

疼くだけ疼いて時間の経過もある身体に、この焦らしは効果がある。

特に先輩は、腰も耳も弱い。

だからこそ耳元で息を吹きかけるように話してやるのだ。

「お、願い……っ、初音ちゃ……っ。」

最初こそあたしを攻める気満々のように口付けてきたその人は、

「俺の、名前……呼んで?」

紅潮した顔で、涙目になりながら。
後輩に好き勝手される状況で喜ぶ人だ。

可愛らしいおねだりに、あたしは気分を良くしながら先輩の頭を撫でて

「透(トオル)ちゃん。」

悪戯に先輩の耳を噛みながら呼んであげていたのだ。

「ちゃん付けはやめえや…っ。」
「じゃあ、透王子?」
「初音ちゃん、ほんま意地悪やなあ〜っ。」

項垂れながらも、あたしに甘えるように抱きついて顔を埋めてくる先輩。

「瞳先輩にはなんて呼ばれてるんですか?」

だからこそ頭を撫でてあげながら、不意に疑問に思ったことを問えば、

一瞬の固まりを見せる先輩がそっと顔を上げてきたのだ。

怪訝そうな眼差しで、

「なんで?」

そんなこと今聞くん?と視線だけで訴えてくる。

「聞きたくなったの。教えて。」

小首を傾げながら、先輩の頰を撫でてあげれば

「嫌や…。」

ツンとソッポを向いて抵抗を示すものだから。

ふうん、とあたしは呟きながら先輩を押しのけていた。

「初音ちゃ…、」
「じゃあもういいや。」

突き放し、立ち上がりながら。
先輩のことを見下ろして興味をなくしたと視線で見せてやれば、

「なん…!待ってよ?!なんで…!」
「あたしに触らないで。」

伸ばされた手を蹴りながら、態度を一変させるあたしに。

呆然とする先輩なのに、けれど道着の下では馬鹿みたいに反応してるんだろう。

だからこそ足でそこを踏みつけながら、

「あたしに抵抗するような駄犬は要らないの。わかってるでしょう?先輩。あたしに口答えしていいなんて教えたつもりはないんだけど?」
「…っ、あ……」
「何感じてるのよ。ほんと、これのどこが王子様なんだか。踏まれて喜んでるド変態なのにね?」
「ご、め…っ。ごめん、なさいっ。」
「何が?」
「ちゃんと、言うっ……から。」

やけん行かんといて、と。
あたしの足首をおずおずと掴んで見上げてくる先輩の可愛いことよ。

あたしは足を引っ込めてその場にしゃがみながら、

「じゃあ教えて。なんて呼ばれてるの?」

にっこりと問いかけてやると、先輩は涙ながらに体制を起こしながら

「透、くん……。」

あたしから視線を逸らし、恥ずかしいのか罪悪感でもあるのか。

今更ながら後悔しているようなその面持ちに口元が緩むのは止められなかった。

「そっか。」

だから情事は再開とばかりにあたしがまたがり。

「透くん。」

わざと彼女と同じ呼び方で先輩を呼んでやりながら、

「やめ…っ!」
「ジッとしててよ、透くん。」
「初音ちゃ…っ!」

ビクつく先輩を押さえつけながら、自ら腰を落とすあたしは

「なあに?透くん。」
「…っ!」

きっと物凄く嫌な女。

ただの浮気相手でしかないあたしに、この人を手に入れられる術は微塵もない。

こんな身体にして、あたしを刻むように虐めて。

「その呼び方、嫌だ……っ!」
「なんで?彼女とヤる時、こうして呼ばれてるんじゃないの?」
「やけんって…!」
「じゃああたしになんて呼んで欲しいわけ?」

彼女のフリみたいなことして、いつも嫉妬しながら先輩を見下ろすあたしの愚かさはどうにも底がない。

ハッと笑い飛ばしながら腰を動かしてあげれば、先輩は耐えるように声を殺し。

あたしに腕を伸ばしてきながら縋るように抱きすくめてくるのだ。

「透。それだけでええ。」
「………。」

甘えたがりでわがままで。
女に組み敷かれてプライドもへったくれもない姿晒して。

そのくせこの人は、あたしの身勝手すぎる嫉妬すら受け止めながらどうにでもしていいからと。

あたしを手放してはくれないのだ。

矛盾してると思う。
自分でも。

こうして逢魔時に会える1時間。
楽しみにしてるし会いたいと思うのに。

会ったら会ったで酷いことして八つ当たりなんて可愛いものでは済まない加虐の限りを尽くしてしまう。

手放して、と思うのに。
手放さないで、と思う。

今日こそは突き放してこんな関係を終わらせてやろうと思うのに。

うまくいった試しは今の所ない。

「じゃあ、絶対呼ばない。」
「なん…っ?!」

素直にはなりきれないし、本当に彼が喜んでくれることもしてあげられない。

真顔で言い切るあたしに涙目でギョッとする先輩を見つめながら、

「あたしに泣かされてたらそれでいいでしょう?透きゅん。」

ぺろっと彼の涙を舐めとりながら。
この逢魔時の密会の意義を提示する。

求めあうのは己の欲求を満たすことのみで。
それ以外のお願いなんて、あたしに聞く義務もない。

そもそも下手に踏み込んだら辛くなるのはあたしだけだ。

「先輩の望みなんか聞いてやりませんよ。」

たかが名前ひとつだろうが。
あたしに向けて嬉しそうに笑う顔なんか見たくもない。

そんなものに勘違いしたくもないし。
虚しさだけが後から襲ってくるのを理解してまで応えてやるほどあたしはドMじゃない。

フッと笑ってやれば、

「〜〜〜っっあああ!くっそ!腹立つのにキュンキュンするわあ〜っ!!!」
「…………きも。」
「なんやと?!俺をこうしたんは初音ちゃんやろ?!」

ふざけんなよ?!とあたしの肩を掴んで揺すってくる先輩には小さく笑ってしまう。

「そうですよ。先輩をこうしたのはあたしです。」

いつまで続くかも危うい。
浮気相手だからこそ、

「いつまでもあたしに泣かされてください。」

この関係が終わっても。
この身体があたしと肌を重ねた証拠。

絶対に手に入らないならせめて、忘れさせてなんかやらない。

馬鹿なことしたなと振り返って思い出す程度の女になる気は無い。

いつまでもこの逢魔時の時刻がきたら。
背徳感と罪悪感に身体を疼かせてしまうくらい、あたしに支配されていて欲しい。

そんな歪で邪で、女の嫉妬そのものを向けてしまうあたしはとてもじゃないが純愛なんて出来ない。

「悪魔か、お前は…っ!」
「ああ、いいですね。逢魔時ってそういう類のもの寄ってくる時間帯でしたよね?」
「はあ?!」
「悪魔に魂売った先輩に、希望なんかないってことですよ。」

にこやかに笑いながら、未だ腕に収められているあたしが見上げてやると

「はあーー〜〜っ。まあ、ええよ…。それでも。」
「はい?」

先輩は力無く笑ってあたしを覗き込みながら、

「初音ちゃんのためにやったら、いくらでも泣いてやるわ。」
「透きゅん…。」
「いや、その呼び方やめて?俺、今かなり格好良くキメたつもりなんやけど?」
「ヘタレがなにやったって格好なんかつきませんよ。」
「初音ちゃん酷いっ…!」

また涙をためてあたしを凝視してくる先輩に。

あたしは続きをしましょう、と施しながらも彼の涙を舐めとっていた。

「まあその代わり、」
「うん?」
「先輩の涙は一滴残らずあたしのものですから。」
「〜〜〜っそれ愛の告白?!」
「は?」
「だって独占欲やろそれ?!俺のこと独り占めしてくれるってことやろ?!」
「馬鹿は休み休み言ってくれませんかね。」
「もっと虐めてええよ!初音ちゃんっ!!」
「いやあ、先輩。日に日にMっ気増してますよね。」

魔物に遭遇すると言われる逢魔時に。

「初音ちゃ……、それやばっ…。」
「我慢出来なかったらやめますから。」
「そんなあー〜っ!!」

魔物としか言いようがない女というあたしに喰われている先輩。

楽しくも虚無な時間に夢中になって。

それからあたしたちはまた明日を待ちわびる。

「とっとと放してくれませんかね?帰りたいんですけど?」
「もうちょっとだけ。」

情事の終わった後、着替えもままならないほど抱きすくめられる事に眉根を寄せながら。

甘えたがりな先輩の髪を触って、あたしも少しだけ身体を預けてみた。

ただ心を近づけすぎると泣きそうになるから、キュッと唇を結んで。

あたしはこの甘ったるい熱をいつも自分から蹴飛ばして離れるのだ。

「はい、終わり。」
「痛〜〜〜っ!!いつものことながら酷いっ!」
「それでは。」
「着替えるんはっやっ!?」

元々そこまで脱いではいないからして、整えるだけで済む制服をきちんとしたらあたしはさっさと背中を向けるのだ。

だってこの人にだけは見られたくない。
あたしの中で、唯一綺麗な涙は。

「初音ちゃん…!また明日っ!!」

背後からは約束を取り付けて来ようとする先輩の声が響いてきたけれど無視。

「初音ちゃん…!!」

ただ、しつこい先輩は。
あたしを追いかけてきて背後から抱きついてくることもいつも通り。

「はいはい。わかりましたってば。」

だからこそうんざりしたように言いながら、けれど顔は見せないよう俯きがちに。

彼の腕を振りほどいてまた歩き出そうとするのだけど、

「逃げたらいかんよ?初音ちゃん。」
「…っ!」

背後で、あたしの耳元に静かな声を聞くと目を丸くしてしまった。

当然だ。
いつも通りが崩れた音が聞こえたのだから。

「初音ちゃんを泣かせてええんも、俺だけやけんな。」

クスッと、それまで聞いたことのない艶やかな声音に。

あたしは振り返ることができなかった。

だって、普通に……こわい。

頭は真っ白で、理解がまるで追いつかず。

だからってなにを言えばいいかもわからず。

でも、

「この責任はちゃあんと、とってもらうで?」

その言葉を聞いた瞬間、あたしは逃げ出すようにその場から走り去っていた。

膨れ上がった罪悪感の重さに、耐えきれなかった。

この関係が一生続くことは望んではいない。

こんな虚しいだけの関係に、絡め取られる気は無い。

責任の取り方は心得ていたつもりだったのに。

先輩の声音にゾッとしてしまった。

あの人はどこまでも間違う覚悟であたしを誘ったのだから。

終わりにしよう。
この間違いを。

その決断を胸に、逃げ出したあたしを見送っていた先輩は…。

「逃す気はないで?初音ちゃん。」

はだけた道着もそのままに、甘えるように笑いながら

「さあ、始めようか。この間違いを。」

あたしとはまるで真逆な決断をして、

肌に残るあたしがつけたキスマークをそっと辿る先輩のことなんか知らなかった。

これは始まりの音?
それとも終わりの音?

ただひとつ言えるのは、

「明日が楽しみやなあ。」

魔物はあたしじゃなかった。


小噺

生明ゆめの気まぐれ短編集

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