迷える子羊❷

002.迷える子羊

ハッと二度目の目覚めにわたしの視界は見慣れない天井を見ていた。

ええ、ここはどこだと言いたかったが記憶はあります。

酔ったわけではなく、気絶しただけなので。

できるならずっと気絶していたいです。

酔って初対面の人に襲われたなんて信じたくありません。

考えるだけで涙が浮かびます。

すんっと鼻を鳴らしてじわりと浮かぶ涙を我慢すれば鼻がツンとしてしまう。

初めてに夢見る少女ではないものの、それでも初めてはどんな人だろうが自分が好きになった人としたかった。

まさかわたしが酔っ払って記憶もない初めてをしてしまうなんて思いもよらなかった。

遊び人じゃないし、男にだらしないわけでもない。

どっちかっていうと誰かを好きになるとか好かれるとか、そういうものに縁遠いわたしなので。一生独り身でもおかしくないので。

だからってこんな初めてだなんてもう死にたくなるってもんです。

泣いたって仕方ないけど泣く以外の方法が思いつきません。

「ううう……っ、さいあくですぅ……っ。」

暴言を吐かれ、無視されて、呼び出された事も暴力を振るわれた事もあるけれど、

それでもここまでのショックはなかった。

今すぐにでも婦人科に行くべきだろうか?

生理が来るかどうか周期の確認にしばらく神経質になりそうだ。

病む病む…っ。病みますわたし…!

メンタル弱いんですって!

だから目立たず存在感もなく今まで過ごしてきたんですって!

わたし何か悪いことしましたか?かみさま!

なんでこんな仕打ちをされてるんでしょうか?!

ぐすんと鼻を鳴らしたところで答えてくれる人はいない。

自殺する勇気があるならわたしはこんなメソメソ病むだけの女になんかなっていません。

はい、わかってます。
死にたくなる思いですがそんな事実際にできる女ではありません。

とっても臆病なので。
そんなこと自分が一番よくわかってるので。

だからモブとして生きてきたのです。

そこまで思うと諦めもついてきた。

終わったことをどんなに考えたってわたしは泣くことしかできない。

メソメソ、ボロボロと涙を落として誰も慰めてくれないまま気の済むまで泣いて終わるだけの寂しい女ですとも。

それがわかっているので、わたしは起き上がりながら滲む涙を拭いてしゅんとうなだれていました。

とりあえず自分の家に帰りたい。

そんな思いで未だ生まれたままの姿である自分の着る物を探そうと、泣く間を惜しんでキョロキョロしていたのですが…、

「起きたか羊。もう昼だけど、お腹空いてない?」

聞き覚えのあるトラウマになりそうな声に肩をびくつかせて恐る恐る顔を上げておりましたとも。

黒髪の癖っ毛に目つきの悪い青い眼差し。

これのどこがソラちゃんだったというのか。

酔っ払ったわたしをはっ倒してやりたいです。

ソラちゃんはもっと愛嬌もあるし毛並みはツヤッツヤで鍵尻尾が恐ろしくキュートなんですから!と。

いやいや、そんなこと今はどうでもいいのよ。
現実逃避したいのは山々ですが取り敢えず帰りたいので、あとちょっとがんばりましょうわたし。

「い、いえ、結構です。それよりわたしの服は…」
「汚れたから今洗ってるところだけど。」
「………」

汚れてる?汚れたって?!
それを聞いただけでもう一度気絶できそうでした。

だってそうでしょう?!
わたしに記憶はありませんが、けれど汚れたってことはそういうことなんですよね?!

堪えていたのに涙がまたじわりと浮かんでしまったわたしに空先輩…、もとい空さんは頭を掻いてため息をつくのです。

「俺の服貸してあげるからそんな泣かなくてもいいじゃん。」
「…っ」

そういう問題ではないのですが?
あら?勘違いしてらっしゃる?

乙女心がわかっておられない???

同意の上なのかもしれませんがわたしが酔っ払ってたことと、そんな性格じゃないことはわかってましたよね?!

…と八つ当たりできたらどれほど良かったか。

生憎そんなことを言える性格ではないので頷いておくことにしました。

すると空さんはわたしに薄手のシャツを被せてきて遅い朝食の目の前まで連れていくのです。

帰りたいのに、食欲なんかないのに、服が汚れたままではどうしようもない。

ダイニングに座らされ、目の前の食事を見つめながらいただきますと小さな声で言っていた。

焼き立ての食パンにポタージュにサラダ。
ささやかですが整った食事を前に空さんもわたしの目の前に座るのです。

そして何故かジーーーっと穴が開くほど見られております。

気まずい。
気まずいですよ…っ。

「あ、の……っ、なにか?」

変な顔でもしていたのか、それとも言いたいことがあるのかと恐る恐る伺えば、

「いや、もぐもぐしてるなあって見てただけ。」

…という変な返しをされておりました。

食べているので、そりゃもぐもぐしますよね。
食べてるんだもの。ええ、もぐもぐしますとも。

こういうときコミュニケーションが下手くそな自分が恨めしい。

なんて返せばいいのか思いつきません。

はっ!もしかしてもぐもぐしてはいけなかったのでしょうか?!ガツガツ食べた方がいいとか?!

ちまちま食べてるのが遅すぎてイラつかせてしまったのでしょうか?!

う、うーん…と悩むものの本人に直接聞けないわたしの臆病さよ…。

だって怖いんです。怖いんですよ顔が。
ええ、顔が。大事なので3回言います。
顔が怖いのです。

何度も言いますが見目麗しいと学校中で囁かれていますがわたしからすれば目つきの悪い怖い人なんですよ。

なので下手なことを言って怒らせてしまったらどうなるんだろうかと思うと怖くて言葉に詰まるんです。

なんなんでしょうか。
なんで食べるだけなのにこんなに居心地が悪いのでしょうか?

少し食べるスピードを早めつつ、何か話題を!と思って部屋をようやく見渡しておりました。

ここはどこですかと聞いたわたしですが、改めて言いたくなりました。

「ここはどこですか…っ?」
「俺の部屋だって。さっきも言ったよねぇ?」

なに?忘れた?と問われることにはふるふると震えてしまいます。

だって、あれですよ。
お部屋広すぎませんか?
なんか高そうなんですもん。

「一人暮らし、ですよね?」
「そうだよ。」
「部屋数が…」
「6LDKだからね。」
「ろく…っ」

ごふっと食べていたものを吐きそうになって慌てて口元を押さえます。

お行儀悪くてすみません。

でも噴き出しそうになる驚きではないでしょうか?

一人暮らしで6LDKって!

もしかしてもしかしなくてもお金持ちなのでしょうか?

本当に申し訳ないのですが、そこまでくると住む世界が違いすぎるとかではなく、もはや天上の人なのですが…?

びっくりしすぎて大混乱のわたし。
お水を口に含んでなんとか飲み込みつつ、ふうっと息を吐いておりました。

あれですね。あれです。
気にしたら負けなんです。

どうでもいいじゃないですか。
空さんがお金持ちだろうと顔が怖かろうと部屋が6つもあるマンションに住んでいようと。

そう、どうでもいい。
関係ないので。

驚きましたがそれだけ…

「将来一緒に住むには充分でしょ?」

…………え?
……えっと、今なんて……???

折り合いをつけようとした思考が再びぱにっくです。

大混乱です。

この人今なんて言った?!
わたしをそんなに卒倒させたいのでしょうか?!

何故に将来の計画にわたしが入っているのでしょうか?!

「物足りないなら引っ越してもいいし。」

それにこのまま会話を続けないでいただきたい!

物足りないというか、物騒な話しでしかないんですわたしには!

「い、い、い、いや、あの…っ、そのっ。な、な、なんで将来のことなんか……っ。」
「だって結婚するでしょ?付き合ってんだもん。結婚までするよね普通。」

いえ、しませんよ。
そもそも付き合ってるのもほぼ強制だったじゃあないですか!

なんでこんなに強引なんでしょうか?!
人の話しは最後まで聞きましょう空さん。

ていうかあんまりにも展開が早すぎでは?
ついていけませんっっっ。

「えっと、あの……帰ります。」

だめです。
もう何をどう言えばいいかわからなかったので逃げます。すみません。逃げたいです。

この際服なんてどうでもいいわ。
空さんに借りた服はきちんと洗濯して彼の机の上にでも置いておこう。

そうだそうだそうしましょう。
こんな一時の気の迷いに取り合っていたらわたしは何度気絶すればいいのかわかりません。

それでなくても初めてを記憶もなく奪われていることすらまだ受け入れきれてないというのに…っ。

ガタンと席を立ったわたしに空さんは「ごめんごめん、からかいすぎた。」とわたしに座るよう施してくる。

からかう?からかわれてたのですかわたし?

そんなふうには見えなかったけれど、やはり人付き合いが苦手なわたしでは空気も読めないポンコツということでしょうか?

じっと空さんを見て考えていれば、空さんは軽く両手を上げてから、

「怒ったなら謝るから。」
「………」
「プロポーズはちゃんとしないとだよねやっぱ。ごめんごめん。」

……え?
いやいやいや、……え?

そこですか?!
そこなんですか?!

違いますよね?!
からかったってそこ?!

わたしがプロポーズをちゃんとされてもないのにっ!て怒ってると思ってるんですか?!

はいいいぃぃぃぃっ?!!!

呆然としすぎて言葉がないとはこのことだ。

どこまでも空さんの思考が突っ走りすぎていて追いつけません!!!

そうじゃないでしょう?!
そうじゃなくて付き合ってることも含めてわたしは納得もしていない状態なんですよ!

空さんのこと好きでも何でもないんです!
ほんと申し訳ないんですけど好きじゃないんですってば!

唖然とするわたしには空さんが宇宙人に見えてしまいます!!!

なんか凄い勢いで狼に追われて、有無を言わせず囲われてる気がしてなりません!

もうたらふく食べる気満々で唸られている羊の気分ですはい。

「わ、わ、わたし!結婚しませんから…!」

どうにか勇気を振り絞って遅れた嘆きを響かせていたわたし。

ええ、がんばりました。
ここははっきりさせておかないといけません。

空さんとは結婚する云々の前に付き合ってるってことも脅しの一部なんですからね!

簡単に初めてを奪われてしまいましたが酔ってない今のわたしは昨日のポンコツさよりまだマシなはず!

そんな思いで空さんにはっきり言ってやった!と自分を褒めていたら、

「結婚資金なら別に心配いらないけど?」
「いえ、お金の問題ではなく…!」
「ああ、役所にわざわざいくの面倒だもんねえ?最近じゃあ結婚してないけど普通に家買ってる人もいるし。」
「それもちがいます…っ!」
「じゃあなに?あれかな?俺が浮気するとでも思ってる?」
「そうじゃなくて…!」

なんでわたしが空さんを好きなこと前提なの?!

いえ、わたしもテンパっていたので主語をつけて空さんとは結婚しませんからって言わなかったのも悪いかも知れないけど!

「わたし、空さんのことすきじゃないので…!」

もう勢いに任せてしまえ!と思ってはっきり口にしていた。

だってそうでしょう?
結婚とか浮気の心配とか以前の問題でしょう?!

告白はされましたがわたしオッケーしてませんもん!

脅されて付き合うことになったけれど、好きなわけじゃありませんもん!

ぶるっぶる震えながら半べそで言い切ったわたしに空さんは目を丸々としてらっしゃった。

この人本当に驚いてるんですけど?!

え、なんで?!
まさかほんとうにわたしに好かれてると思ってたとか?!

昨日の今日でそんな事あるわけないってわかりますよね?!わからないんですか?!えええええ?!

口を空けて固まっている空さんに、わたしも驚いているというなんともカオスな状態でした。

そのカオスを打ち破ったのは…、

「はあ?!なんで?!そこから?!俺はいつも女と目を合わせて3秒で惚れられてんだけど?!」

…というトンデモナイ理屈。

3秒って…!3秒って……!
惚れられるのに3秒ルールって適用しちゃうんですか?!

この人どんだけモテモテな人生歩んでるんでしょうか?!

ていうかそれ、非モテ男子全員を敵に回す言葉ですよ…!

わたしなんて同性からも好かれるどころか鬱陶しがられてるっていうのに!

「羊だって俺が好きなはずじゃん!俺が好きなんだから!」
「すごい理屈ですね…っ!言い切りましたね。すごいです…!…が、好きじゃないです!」

ぶんぶん頭を左右に振って否定すれば空さんはガタンと椅子を倒して立ち上がるのだ。

机を間に挟んで前のめりになってくる空さんはじっとわたしを見つめてきたのです。

3…2…1…

「惚れた?」
「………」

ほんとうに3秒数えてたんですね。

まさかと思ってわたしも数えてみましたが息ピッタでしたね!

いやいや、そうじゃないでしょうヒツリちゃん。しっかりしなさい。

ていうか眼力も迫力も凄まじい空先輩に3秒も見つめられたら…

「うえぇぇんっ。怖いよおぉぉっ。」

ぐすんっと、この数時間で我慢していた涙が溢れてしまいました。

怯え切ったわたしの反応に空さんはギョッとしており、わたしは床に崩れ落ちてメソメソと泣いておりました。

だって怖いんですよ!
顔が怖いって何度も言ったように、わたし空さんの顔タイプじゃないんです!

どんなにバランスよく配置されているパーツだろうが、バランスが良すぎると逆に怖いんです!

綺麗だとかイケメンだとか呼ばれる人が万人受けすると思わないでいただきたい!

わたしのタイプは飼い猫のソラちゃんなので!

「ちょ…!マジかお前?!てか泣かなくても…!」
「もう帰りたい…っ。空さん怖いいぃぃぃっ。」

昨日から今の今まで。
強引だし、人の話し聞かないし、なんかズレてるし、脅すし、初めて奪われちゃうし。

わたしの中で空さんは大悪党です…!

スンスン泣いて、もう我慢の限界を迎えていたわたしは子供のようにえーんっと泣いていた。

この泣き方がまた同性からぶりっ子すんなとか言われていじめられた原因でもある。

怖がりで臆病ですぐ泣く。

この三拍子が揃うといじめられます。
皆さん注意してくださいね。

わたしはそれを学んでいるのである程度我慢できるようになったし、極力目をつけられないように過ごしていたのですが、

もう無理でした。

なんとか乗り切ろうと思ったけれど無理でした。

空さんこわい。

もう何もかもがこわい。

顔も怖いし、その思考も怖いし、わたしに好かれてるとか本気で思ってたところも怖い。

「3秒ルールに適応できなくてすみませんんんんんんっ。」

謝り方すら混乱していたので意味不明な言葉を発していました。

もう許してください。
わたし怖いのダメなんです。

ほんっとダメなんですってば。

うわあぁぁんっと泣くと空さんは、

「ほんとそれだよ。なんで効かないんだよ!おかしいよお前!」

わたしのせいにされていました。

凄いこの人。やっぱり怖い。

なんなんでしょうね。
ここまで意思疎通もできず、価値観も合わない人は初めてなので余計に涙が溢れてきます。

絶対相性悪いので、早く気づいて諦めてくれないでしょうか?

きっとわたし、空さんとはどうやっても理解し合えないと思います。

「もういやあぁぁぁ……っ。」
「嫌ってなにが?怖いって何?!俺ここまで優しくしてんの初めてなんだけど?!」
「もういいから帰らせてください。服返してください。あと別れてください。諦めてください。無理です。好きになれません。ぜんぶ、無理です。」
「な…!」

よろよろと立ち上がったまでは覚えているのだけれど、そこからどうやって帰ってきたのかはわからなかった。

気づけば自分のベットでうつ伏せになっており、一人暮らしって寂しいなとか思ってたけどこんなに安心する部屋はないと思いあらためておりました。

服は自分のものを着て帰っていましたが生乾きの匂いがしたので再度洗濯機にまわし、

あれは悪夢だったのだろうかとボンヤリしながら怖かったあぁぁぁっっっと再び泣いていました。

なので、

空さんがあの部屋で、ダイニングもそのままの状態で、真っ白に固まっていたことなんて知るよしもありませんでした。

何時間もそうしていた空さんの部屋によく連んでいる顔が入ってきて、

「空〜今日泊めてくんな………って、え?なに?え?お前どうしたの?!ちょ…!大丈夫か?!」

サラサラと砂になりそうな空さんの状態にギョッとした友人さんが肩を揺らして慌てていたことも知らず、

「無理ってなに…?全部無理って……。俺、女にそんなこと言われたことないんだけど?ねえ?俺が好きだって言ってんだよ?相手だって好きになるはずじゃん?俺何も間違えてねぇよな?!」
「………その思考で生きてこれたことこそ間違いだぞ空。」

友人さんがそれはもう満面の笑みで、空さんのドン底の顔にいい気味だと笑っていたことも知りませんでした。

空さんが実は結構残念な人で、偏った常識しかない人であることを知っているのは極一部に限られているということも知りませんでしたが…、

「女に振られたのか?お前が?傑作じゃん!だから部屋真っ暗で座り込んでたのかよ!」
「笑い事じゃねえんだよ!俺って怖いか?!」
「今までがおかしかったんだろう?お前のこと怖いってはっきり言えるその子のほうが常識人なんだよ。」
「ふざっけんな!俺は本気なんだぞ?!あんなに優しくしたこともなけりゃ、手も出さずに介抱までしたんだぞ?!この俺が!!!」
「そこは威張るとこじゃねえからな?…まあ、空がちゃんと順序を踏もうとしてること自体が奇跡だとは思うが…」
「だろ?!なのに羊は俺を好きじゃないって言うし、怖いって怯えて泣くんだよ!どうしろってんだ!!」
「………理由は多分。いや絶対。お前が100%悪いってことだけは断言できる。」
「なんでだよ?!」

この会話を聞いていればわたしは泣きながらでも口にしていたでしょう。



空さんなんてだいきらい!!!

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