鴉の涙

000.鴉の涙

「嬢ちゃん、ひとりかい?」

それは深い深い夜の日でした。
月の見えない深い夜。

あたしを見つけたのは真っ白な男の人だった。

深い深い夜は、深い深い森の中。
彷徨うように歩き続けたあたしの目の前には、もう廃れてしまった小さなお寺があったのです。

白い男の人はその寺の前にある鳥居の中、ボロボロの階段の上からゆるりと笑いかけてきた。

「ひっく…っ、ひっく……っ。」
「あーあ、服もボロボロ。髪も…、酷いなこりゃ。誰にやられたんだい?」

ゆっくりとした動作で腰を上げ、あたしの目の前にひょいと降り立つ様は身軽という言葉では表現しきれないものでした。

まるで飛んでる鳥のように、その軽やかな身のこなしと不思議な存在感に顔を上げていたのです。

そうしてその手はあたしの引きちぎられたような痕を残す短くなった髪に絡まったのです。

自慢だった、お気に入りだった…っ。

あの人と同じ、漆のように深く濃い闇のような真紅の色味。

それを、あいつらは…っ!
あいつらが……っ!!

「にん、げん……っ、」
「え…?」
「人間っ!人間っっ!!人間っっ!!!」
「…っ、」

泣きながら狂ったように叫び、憎しみと怒りに燃えていたあたしの様子はさぞ不気味だったことだろう。

10歳にも満たぬ、幼児だったあたしは…。

「人間なんか大っ嫌い…っ!!」

人の手により追われ、迫害され、拷問を受け、そして逃げ出してきたのだ。

何よりも人間に、最愛の人を殺された。

親も同然だったのに…っ!
あいつらはっ…!

「なにか訳ありみたいだけど…。」

白い男の人はあたしの様子を伺いながら、少し寂しげに頭を撫でて落ち着けと諭してくれたのだ。

「どんな理由があったって、人が人を拒むものではないよ…。」

そうして、その時のあたしには全くもって理解ができない。

いや、理解なんかしたくもない言葉を落としてきた。

「なにも…っ!なにも知らないくせに…っ!!」
「そうだね…。嬢ちゃんにはまだ難し過ぎたね。」
「……っあいつら絶対許さない!!絶対!ぶん殴ってやるっ!!!」
「そんでもって意気のいい嬢ちゃんだなあ…。そんな弱っちい身体で何ができるんだね。」
「うるさいっ!!あたしはあいつら皆殺しにしてやるんだからっ!!おっちゃんは黙ってて!!」
「おっちゃ……っ?!」

噛み付くように言えば、白い男の人は顔を引きつりながらもコホンと咳払いをひとつして。

それからにこやかな顔で何のためらいもなく…

「痛…っ?!」

あたしにゲンコツを食らわせてきたのである。

思わず頭を抑えて座り込むあたしに、その男は腕組みしながらフンと鼻を鳴らしていた。

「僕のどこをどう見たらおっちゃんだよ。全く、これだからガキは…。」

癖の強い白髪に、中性的な顔。
特徴的な鳥目は赤く、深い夜の中。

肌も髪も真っ白な男は雪明りのようにボウっと存在感を見せつけてあたしを見下ろしてきたのだ。

「なにすんのよ…っ!!」
「躾だよ、躾。全く、親の顔が見て見たいもんだ。」
「……殺された。」
「え…?」
「人間にっ!殺された…っ!!」
「…!」

だからあたしは逃げてきたのだ。
逃げていたらこの森の中に入っていて、気がつけばどこの誰かもわからないこの男に声をかけられていた。

ここは魔法の国。
あたしが生まれた年は、戦争が長引く最悪の時代だった。

そしてその時代は、あたしから何もかもを奪い去ったのだ!

「なんで、人間に…?人が人を殺す時代ではないはずだ。」

魔法が使える国とは言っても、戦争が続いている時代とは言っても争っているのは人と人ではない。

____人と妖だ。

未だに存在する古からの邪を、人々は忌々しく思い。

魔法を駆使して排除し続けていた。

そしてあたしの親は…、

「酒呑童子…。」
「は…、」
「あたしの親は人間じゃない!酒呑童子っ!!」
「…?!」
「この世の三大悪妖怪のひとりにして、あたしを拾って育ててくれた…っ!あたしは鬼の子なのっ!!」

噛み付くように言いながら、興奮が落ち着かなかったあたしは自らの体内に秘めた妖力を増幅させていた。

あたしが習ったのは魔法じゃない。
酒呑童子から教わった、妖法。

魔を内に宿した力だったのだ。

目を丸々とさせる白い男は、ざわつく邪気を纏って拳を握りしめるあたしの姿に…。

「な…っ!……っなんであんたが泣くのよ?!」

そう、涙をこぼしたのである。

ただただ静かに。
その妖美でミステリアスな姿から流す涙はなんだか不気味にも感じたけれど…。

それ以上に、優しい目をしていたのだ。

ギョッとするあたしは狐につままれたような感覚で、それまでの力を手放してしまった。

途端に静けさを取り戻す森の中は、夜風が吹いて彼の白髪をさらうのだ。

「ああ…、ごめんね。」

そうして涙をぬぐい、静かに空を仰ぐ彼はひと言。

「まさか、あいつが死ぬなんて…。」
「え…?おっちゃ…っ、お兄さん!酒呑童子を知ってるの?!」
「知ってるもなにも、友達だったんだ。」
「…!」

ゆるりと微笑みながら、けれど彼は寂しげに俯いていた。

「……とうとうあいつもくたばったか……。」
「…っ、」
「酒を飲み交わす相手が減るのは、遣る瀬無いねえ…。」

静かに呟き、自分の胸に手を置く彼は…。

その時のあたしにとって初めて、酒呑童子の死を心から悲しんでくれる同士だったのだ。

だからなのかはわからない。
あたしもその涙に催促されて、大声で泣き喚いていた。

「うわあああああん………っ!!!」

あたしの全てだった。
大好きだった。

ずっと一緒だと思ってたのに…っ!

悲しみと絶望と、憎しみと恨みと。

何もかもがごちゃ混ぜで処理をするには泣くことだけだったのだ。

そんなあたしに白い男の人はスッと手を差し伸べてくれて…。

「これも何かの縁だ。うちにくるかい?嬢ちゃん。」
「え……っ、」

涙でぐちゃぐちゃの顔だったし、まさかそんなこと言われるなんて思いもしなかったから。

酷い格好で、汚い少女を誰もが忌み嫌い、暴力を振るってきたのに。

その人だけは、初めてあたしに温かな笑みで手を差し伸べてくれた。

「行く場所も、帰る場所もないんだろう?そのままおっ死ぬなら、拾われておきなよ。僕はそこそこ強い。」
「……っいい、の?」
「嬢ちゃんの名前を教えてくれないかい?」

よく見れば寺の修行僧が着るような作務衣(さむえ)を着ており、胸元にはボディーピアス。

チャラそうな面持ちは、けれど優しい笑みを浮かべて飄々とした不思議な存在感だった。

そんな彼の手にあたしは躊躇いなく手を伸ばしたのである。

「ウル…っ!漆(うるし)っていう…!」
「漆…、か。それはまた…、とんでもない名前をつけられたもんだ。」
「酒呑童子が、強い名前だって言ってた!」
「あいつは全く……。デリカシーないっていうか、わかってないっていうか…。女の子につける名前じゃないだろう…。」

ボヤきながらも白い男の人は頭をかいて、あいつらしいと最後には笑っていた。

そんな彼に、あたしは酒呑童子の縁を感じて自ら口を開いていたのだ。

「おっちゃ…っ、お兄さんの名前は…?」

なんていうの?って手を握り返して問えば、彼は少し困ったような顔をしたのだ。

「そうだなあ…。何にしよう…。」
「何にしようって何???」

名前がいっぱいあるの?って問いかけると、彼はまあそんな感じと曖昧に笑ってから…。

「ああ、そうだ。諱(いみな)って呼んでくれたまえ。嬢ちゃん。」
「いみ、な……。それ、本名?」
「いんや、違うね。」
「なにそれ!本名教えてよ…!」
「名前捨てたんだ。あれはもう使う気ないからダメ。」
「ぶーーぶーーっ!!」
「やれやれ。なんて女っ気のない子だ…。まるで獣みたい。」
「なんだと?!」
「まあ、酒呑童子時代が荒くれ者だったしねえ〜。あいつによくにてる。」
「ほんと?!」
「喜ばないの。」

褒めてないから、と言われながら手を取り合い。

あたしたちは共に暮らすことになったのである。

「諱は妖怪なの?」
「半分正解、半分不正解かな。」
「なんの妖怪?!」
「迷わないねえ、嬢ちゃん…。そこは首傾げていいところだと思うんだけど。」
「ねえねえ!何の妖怪なの?!鬼?!鬼なのっる!ねえ?!」

腕を引っ張って目を輝かせていたあたしに、諱は苦笑していた。

それが何故なのかなんてその時のあたしにわかるわけもなく…。

「んー〜……強いて言うなら風の妖怪、かな。」
「風…?」
「鳥とか、そっちの類だよ。」
「飛べるの?!」
「食いつくとこはそこなのか…。さすがお子ちゃま…。」
「あたしにも飛ぶ方法教えて…っ!!」
「いや、根本的に無理でしょ。羽ないんだから。」
「生やすからっ!」
「どうやって?!逆にそれ怖いから?!」
「自力で生やす!!」
「なんて馬鹿な子なんだ……。」

先が思いやられると言いたげに、諱は頭を抱えていたけれど…。

それからあたしが飛ぶためにあれやこれやと奮闘したのはいうまでもない。

きっとこの縁は、今思うに……。

運命だったんだと思う。


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